野村克也が待ちわびた1541日ぶりの復帰。荒木大輔の「勝負運」が苦境のヤクルトをリーグ優勝に導いた

  • 長谷川晶一●取材・文 text by Hasegawa Shoichi
  • photo by Sankei Visual

【体がボロボロで満身創痍での引退】

――翌1993年には開幕からローテーション入りをして8勝4敗を記録。チームの連覇に貢献し、西武ライオンズとの日本シリーズでは初戦に先発してチームに白星をもたらしました。しかし、その後は成績が低迷。1996年に横浜ベイスターズに移籍して、その年限りでの引退となりました。晩年の荒木さんについてはどんな印象がありますか?

八重樫 大輔は全身を使って目いっぱい投げていたのに、晩年は小手先で投げるようになっていましたね。体がもう完全に限界で、ボロボロだったんだと思いますよ。みなぎる気迫と全身の力を使って抑えていたものが、連打を食らうようになったり、オーバーフェンスになったり、打球がヒットコースに行ったり。そういうケースが増えていきましたから。

――前回のお話にも出てきましたが、プロ入り時に八重樫さんが「どうしてこんなピッチャーを獲得したんだ」と思った荒木さんは、マウンドに上がると人間が変わって、気迫みなぎるボールでバッターを圧倒してきました。だけど、肉体の限界と共にその気迫も衰えていった......。そういうことなのでしょうか?

八重樫 そうだと思いますね。やっぱり、長年にわたって気持ちをずーっと張りつめたままにしておくというのは、かなりキツイことだと思いますよ。ついに限界に達したことで、引退を決意せざるを得なくなったんじゃないかな?

――その後、ヤクルトや西武で指導者を経験して、現在は日本ハムのピッチングコーチを務めています。

八重樫 技術を教えることはできるけど、現役時代の大輔のようなマウンド度胸や勝負勘を教えることは難しいんでしょう。大輔のような強気なタイプのピッチャーは、その後も出てきていないですからね。

――前々回までは酒井圭一さん、前回、今回は荒木大輔さんについて伺ってきました。同じ「甲子園のスター」でも、両者はそれぞれタイプが異なっていたんですね。

八重樫 酒井はとにかく、入団時からすごいボールを投げていました。打球が顔面に直撃しなければもっと活躍していたと思います。大輔はマウンド度胸、勝負勘がすごかった。神宮にたくさんのファンが殺到したし、「甲子園のスター」の名に恥じない人気ぶりだったのは間違いないかな。

 これは言ってもしょうがないことだけど、酒井のポテンシャルに大輔のメンタルがあったら、とんでもないピッチャーになっていたでしょうね。去年は甲子園が中止で寂しかったけど、今年の夏の甲子園からはどんなニュースターがプロへと巣立っていくのか。楽しみにしていますよ。

(第81回につづく)

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