巨人「セカンド争い」の歴史。篠塚和典→仁志敏久に続き「不動」となるのは誰だ (3ページ目)

  • 津金壱郎●文 text by Tsugane Ichiro
  • photo by Jiji Photo

 2007年から2010年まで、各年の主なスタメンは次のとおり。ちなみに2008年の開幕スタメンには入団2年目の坂本勇人(2007−)が初めてラインナップされたが、そのポジションは土井、篠塚の『背番号6』の系譜を継ぐセカンドだった。

◆2007年=木村拓也(2006−2009)77試合、脇谷亮太(2006−2013,2016−2018)39試合、ルイス・ゴンザレス(2007-2008)21試合

◆2008年=木村82試合、ゴンザレス31試合、古城茂幸(2006−2013)11試合、脇谷10試合

◆2009年=脇谷44試合、木村39試合、古城39試合、寺内崇幸(2007−2018)17試合

◆2010年 脇谷69試合、エドガー・ゴンザレス(2010,2012)57試合、古城16試合

 レギュラー争いに決め手を欠くシーズンが続いたなか、2011年は久しぶりにスタメンで100試合以上に起用された選手が現れた。プロ入り4年目で当時22歳の藤村大介(2008−2017)は、開幕スタメンの脇谷が打撃不振で5月に二軍に降格となると、代わりにチャンスを掴みとる。5月10日にプロ初出場すると、5月13日の広島戦で初スタメン。以降はレギュラーを奪取して盗塁王にも輝いた。

 ショートの坂本とともに球界を代表する"二遊間"への成長を期待された藤村だったが、2003年以降は鳴かず飛ばず。2012年の打率は前年より向上したが、守備の送球が不安定なことから、スタメン出場は63試合(寺内54試合、古城21試合)。2013年は寺内59試合、脇谷28試合、中井大介(2008−2018)24試合に対し、藤村は16試合の起用に終わった。

 2014年は、西武からFA移籍1年目の片岡治大(2014−2017)が113試合にスタメン出場。片岡は翌年も107試合でスタメン出場したが規定打席に到達できず、打率は2割4分4厘に終わったことで、セカンドは翌年からまたも"戦国時代"へと突入した。

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