2021.08.25

巨人「セカンド争い」の歴史。篠塚和典→仁志敏久に続き「不動」となるのは誰だ

  • 津金壱郎●文 text by Tsugane Ichiro
  • photo by Jiji Photo

 内外野を守れるユーティリティーな緒方の出現によって、1991年からセカンドは併用体制になった。篠塚は1991年に69試合、1992年に52試合でスタメン出場。外野との併用だった緒方は1991年に21試合、1992年に53試合でスタメン起用された。

 長嶋茂雄が監督に復帰した1993年、セカンドで台頭したのが入団3年目の元木大介(1991−2005)。開幕2戦目に6番セカンドで先発出場すると、この年は篠塚の51試合次ぐ41試合にスタメン出場。打率2割3分7厘、4本塁打、15打点をマークした。このほか三塁と併用された岡崎郁(1980-1996)が21試合、外野との併用で緒方が13試合でスタメンを務めた。

 篠塚、元木、緒方との併用が続いた1994年かぎりで篠塚が引退すると、翌1995年はヤクルトから獲得したジャック・ハウエルが三塁を守ったことで、岡崎が二塁で58試合にスタメン出場。元木が36試合、高村良嘉(1995−1998)が14試合、緒方が10試合、出口雄大(1990−1998)が7試合、福王昭仁(1986−1999)が5試合で先発起用された。

 併用の流れの分岐点となるのが1996年。この年にセカンドで最多スタメンは元木の68試合だったが、これは開幕スタメンを奪って22試合にスタメン起用されたドラフト2位入団のルーキー仁志敏久(1996−2006)がシーズン途中に手薄なサードに回ったため。

 仁志が再び二塁手に転向した1997年からは、『二塁=仁志』の聖域を築いた。1999年から4年連続でゴールデングラブ賞を獲得するなど、2005年までレギュラーとして活躍した。

 2006年からスタートした原辰徳監督の第2次政権(−2015)でも、セカンドの一番手は仁志が予定されていた。しかし、オープン戦で不振を極めて開幕スタメンの座をロッテから移籍加入の小坂誠(2006−2008)に奪われると、シーズンでも併用が続いた。結局、仁志はシーズンオフにトレードを志願してDeNAへ移籍。そして、これを限りに巨人のセカンドは"可動"なポジションへと変わっていった。