2021.08.24

プロ野球はコーチ育成が重要。西武黄金期を築いた根本陸夫は選手を育てること以上にこだわった

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki
  • photo by Sankei Visual

「実際、難しいんです、兼任コーチ。もう歳やのに、走るのも選手と同じようにやっていかなあかんから。100メートル30本とか、グラウンド20周してまた反対方向に20周とか。コーチやからやらんでええんか、と思ったら、広岡さんに『走っとけよー!』って言われて。それでスマートになったけどね(笑)」

 現実に兼任コーチはひとりでは無理があり、専任のバッテリーコーチとしてヤクルト、阪神で経験のある久代義明(元阪神ほか)が就任。さらに作戦コーチに黒江透修(元巨人)、投手コーチに宮田征典(元巨人)、打撃コーチに長池徳士(元阪急)と主要スタッフが一新され、85年のシーズンを迎えた。

「僕は試合中にマウンドに行く役割やった。結局、試合に出る間がないから、優勝が決まりかけた時、根本さんと相談して任意引退にしたんです。もうひとりキャッチャーをベンチに入れておいたほうがいいでしょうということで......若手で仲田(秀司)、大久保(博元)がいましたから」

 85年の西武は打線の得点力が高くなかったなか、投手陣が充実して2年ぶりのリーグ優勝。東尾修を筆頭にベテラン勢が安定した一方、台湾から新加入の郭泰源が活躍し、工藤公康、渡辺久信という若手の台頭もあった。前年限りで野手では田淵幸一、山崎裕之が引退し、リーダー格の石毛宏典をはじめ生え抜き中心のチームになりつつあった。

「チームを引っ張っていたのは、野手では石毛ですよ。ベンチの前で円陣を組むと、必ず声を出してね。これは僕自身がコーチになった時の話ですけど、『打っても打たなくても、おまえはいつもベンチではにこやかにしとけ』って言わせてもらいました。

 ピッチャーは東尾。一生懸命、練習してました。その姿に工藤がついていって、工藤がいたから渡辺もついていったと思う。それと、トレーニングコーチの指導がよかったから、毎日のように投げる中継ぎのピッチャーでも、調整して、ランニングを疎かにするんじゃなくて、よく走って鍛えていたから長持ちしたんですよ」