「こんなレベルのピッチャー」から豹変。ヤクルト荒木大輔の投球はピンチになるほど冴えた

  • 長谷川晶一●取材・文 text by Hasegawa Shoichi
  • photo by Sankei Visual

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【テレビ画面越しに「すごい度胸だな」】

――夏の甲子園真っ盛りです。前回までは「サッシー」こと酒井圭一さんについてお聞きしましたが、今回からは「大ちゃんフィーバー」を巻き起こした荒木大輔さんについて伺います。1980(昭和55)年から1982年にかけての、甲子園の荒木投手についてはどんな印象がありますか?

八重樫 大輔についても、酒井と同じように夜のニュースで何度も見ていました。世の中は「大ちゃんフィーバー」で大騒ぎだったけど、僕自身はもっと身近な大スターを見ていたから、そんなに驚かなかったし、ピンとこなかったですよ。

1992年の西武との日本シリーズで、第2戦と第6戦に先発した荒木1992年の西武との日本シリーズで、第2戦と第6戦に先発した荒木――「身近な大スター」とはどなたですか?

八重樫 僕は高校時代に三沢高校・太田幸司(近鉄など)と同期だったんです。日本代表メンバーとして、彼とはいつも一緒だったけど、あの時の太田の人気はすごかった。大輔の比じゃなかったから。大輔がヤクルトに入団したおかげで神宮球場に若い女性が増えたし、マスコミも殺到したけど、僕の感覚では「幸ちゃんフィーバー」のほうが、ずっとすごかった印象があるんですよね。

――当時、荒木さんをファンから守るために、地下道を通って球場入りする、いわゆる「荒木トンネル」が話題となりましたね。

八重樫 確かに大輔が通る時はパニックになっていたから、地下トンネルを使っていたね。でも、僕は、荒木トンネルは使わなかった。球団からは「ファンが集まるから地下から行け」と言われていたけど、「なんでわざわざ地下に降りて、また上に上がらなくちゃいけないんだよ」って思っていたし、そもそも僕には関係ないと思っていたから(笑)。

――確かに当時、子どもながらに八重樫さんには近寄りがたかったし、実際に八重樫さんの周りにファンは殺到していなかった記憶があります(笑)。さて、荒木さんの「投手として」の印象はいかがでしたか?

八重樫 高校時代は、ひとつひとつのボールはそんなに大したことないのに、バッターに向かっていく気迫はテレビ画面越しにも伝わってきましたね。マウンド上ではオドオドしたところが全然なくて、ピンチの場面でもとにかく向かっていく。「すごい度胸だな」と感じていました。のちに大輔がヤクルト入りしてバッテリーを組んだけど、その姿勢はまったく変わらなかったですね。あれだけ気が強かったのは、ヤクルト投手陣で言えば安田(猛)さんぐらいじゃないかな?

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