高橋慶彦と正田耕三が期待するカープの若手。「打つだけ、守るだけの野球しかできていない」と課題も指摘 (3ページ目)

  • 菊地高弘●文 text by Kikuchi Takahiro
  • 布川航太●撮影 photo by Nunokawa Kota

正田 今の選手はできないんじゃなくて、教えてもらってないだけだと思います。

高橋 そう。だからもったいないよな。俺たちはその点、恵まれていたよ。いい指導者に出会えて、教えてもらえた。

正田 そうですね。若い頃は「もっと練習すれば、もっとうまくなるんちゃうか?」とその思いだけで練習していました。遊びを覚えてからダメになりましたねぇ(笑)。

高橋 そう? そこは俺とは違うとこやね。俺はむしろ、遊びを覚えてからポンといったから。うまいこと遊びと練習を両立できていたな。

正田 高橋さんはモテましたからねぇ。プロ野球選手の遊びも過激でしたし、今と違って写真週刊誌が少ない時代でよかったですよ。

高橋 まぁ、俺は撮られたけどな(笑)。

―― 最後に、お二人が期待するカープの選手を挙げてください。

高橋 俺は中村を使ってほしいんやけどな。

正田 あぁ〜、そうですよね。なんで使わないんですかね?

高橋 使う場所がないんよ。

正田 僕は小園ですかねぇ。

高橋 小園はよくなったね。

正田 はい。足は速いし。

高橋 でも、まだ「速い」だけなんよ。

正田 そうなんですよ。そこを教えてあげないと。

高橋 外野の野間(峻祥)にしてもそう。足が速いだけ。

正田 それじゃ陸上選手ですから。いい若手はまだまだいますよ。林もいるし。

高橋 羽月(隆太郎)だって芽が出てきた。

正田 十分に戦える戦力は揃ってきています。あとは経験や、きちんとした指導を受けられるかどうか。

高橋 うん、そのとおり。そう考えると、やっぱりショウがコーチをやるしかないな(笑)。

正田 またそれですか(笑)。

高橋 いやぁ、今日は楽しかった。今度は俺のYouTube番組に出てくれよ。

正田 はい。またよろしくお願いします!

(おわり)


【Profile】
高橋慶彦(たかはし・よしひこ)
1957年、北海道生まれ。1974年ドラフト3位で広島東洋カープに入団し、1978年からレギュラーとして定着。赤ヘル黄金時代の「1番ショート」として活躍し、1989年までカープでプレー。1990年にロッテ、1991年に阪神に移籍し、1992年に現役を引退。ダイエー、ロッテでコーチを務め、多くの選手を育て上げた。現在は指導者、解説者として活躍しながら、YouTubeでの活動も展開中。

正田耕三(しょうだ・こうぞう)
1962年、和歌山県生まれ。1984年ドラフト2位で広島東洋カープに入団。1987年、スイッチヒッターとして初の首位打者(2年連続)に輝くなど、攻守にわたり活躍した。引退後は広島、近鉄、オリックス、阪神で多くの選手を指導。韓国リーグでもコーチを務めた。

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