「犬猿の仲」高橋慶彦×正田耕三、禁断の対談が実現。「天才やもん、あいつ」と頭にきていた選手は? (2ページ目)

  • 菊地高弘●文 text by Kikuchi Takahiro
  • 布川航太●撮影 photo by Nunokawa Kota

元広島カープの高橋慶彦(左)と正田耕三(右)による奇跡の対談が実現した元広島カープの高橋慶彦(左)と正田耕三(右)による奇跡の対談が実現した

―― まずはお互いに「相手にあって、自分になかったもの」からお聞きしたいと思います。

高橋 ショウは全部持っていたもんな。

正田 持ってないですよ(笑)。それは高橋さんでしょ。

高橋 俺はショウよりホームランがちょっと多かったくらいよ。

正田 僕がカープに入った時(1985年)には、高橋さんはもうスーパースター。守備も打撃も走塁も「これがプロか」というプレーをしているわけですよ。高橋さんは覚えていないと思いますけど、横浜スタジアムで一塁にヘッドスライディングした時のスピードは衝撃を受けました。だから高橋さんには学ばせてもらうことばかりでした。......野球でね(笑)。

高橋 なかなかキツイことを言うな(笑)。まあでも、あの頃のカープは一番強かった時期やからね。

正田 そうですね。

高橋 俺は古葉さん(竹識/当時広島監督)の実験台でスイッチヒッターにさせられたけど、後で聞いたらショウもそんなノリでスイッチにさせられたらしいね。

正田 僕も(打撃コーチの)内田順三さんの実験台みたいなもんでしたから(笑)。

高橋 そうか。俺の時はコーチが山本一義さんやった。まさに実験台やったな。300球入るケースを3箱連続で打たされたり。

正田 それを試合前にやらされますからね。

高橋 俺も「すごく練習した」と言われたけど、ショウもすごかったからね。

正田 高橋さんなんて、試合が終わった後に合宿所まで練習しに来るんですもん。「こんな実績のある人でも、こんなに練習するんや......」と目の当たりにしていたら、自然と練習するようになりますよ。「カープは練習が厳しい」と言われますけど、先輩(高橋)が練習するからそれが伝統になったんやと思うんです。

高橋 一番、頭にきたのは山崎隆造よ。

正田 なんでですか?

高橋 天才やもん、あいつ。練習せんでも打てちゃうんだから。俺たち二人は一生懸命練習しているのに、隆造だけはいきなりポンと打っちゃうんだから。こいつ、どうなってるんやと思ったよ。

正田 まあでも、今のプロ野球で1番から3番までスイッチヒッターが並んでるなんて考えられませんよね。みんな足が速くて、打てて。

高橋 古葉さんの計算通りやろうね。俺たちは3人とも完璧に作られたスイッチヒッターだった。スイッチが3人並んでいたら、代打も代走も守備固めもいらんやん。3人で9人分の仕事をしているわけやから。

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