広岡達朗に面と向かって反抗→近鉄にトレードされたヤクルト・ドラ1の「ガッツマン」 (2ページ目)

  • 長谷川晶一●取材・文 text by Hasegawa Shoichi
  • photo by Kyodo News

【広岡さんとの対立が原因で近鉄移籍】

――永尾さんは社会人経由のドラフト1位入団ですけど、入団当時にはその才能の片鱗は感じられましたか?

八重樫 体は小さいのに、もう大人の体なんですよ。若松(勉)さんが社会人経由でプロ入りした時も感じたんだけど、社会人時代に徹底的に練習して鍛えられているから、そもそも高卒ルーキーとは体の作りが違っているんです。ランニングをしてもスタミナはあるし、バットを振ってもスイングスピードが速い。入団直後から、「やっぱり、社会人出身者は違うな」と思いましたね。

――広岡監督時代の1977年にレギュラーに定着しますね。広岡さんと永尾さんの関係は良好だったんですか?

八重樫 永尾さんは本当に負けず嫌いなんです。前回まで話した角(富士夫)もかなりの負けず嫌いだったけど、角の場合はそれを表には出さない。内に秘めた闘志なんです。でも、永尾さんは悔しさも喜びも、全身で表現するタイプなんですよ。そして、その苛立ちや不満を口にするタイプでしたね。

――不平、不満が広岡さんの耳に入ると大変なことになりそうですね。

八重樫 そうですね。陰で言うんじゃなくて、永尾さんの場合は広岡さんに面と向かって言っていましたから。たとえば、広岡さんがゴロ捕球の指導をしていた時、「反動で動くんじゃなくて、パッとボールに瞬時に対応しなさい」みたいなことを言われたんです。で、永尾さんは言われた通りにやっているつもりなんだけど、広岡さんから見たら「まだダメだ」「全然ダメだ」となるわけです。

――それに対して、永尾さんはどんなリアクションを?

八重樫 永尾さんはそれに対して、「いや、やっています」とか「じゃあ、どうすればいいんですか?」と。たぶん、広岡さんにとってはそれが反抗的な態度に見えたんでしょう。結局はトレードの要因になったんだと思いますよ。

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