広岡達朗、野村克也両監督がヤクルトで重宝。八重樫幸雄が見た角富士夫の特長とは? (3ページ目)

  • 長谷川晶一●取材・文 text by Hasegawa Shoichi
  • photo by Sankei Visual

【広岡監督、野村監督時代を知る者同士として】

――1994年限りでの現役引退後は指導者へと転身しました。基本的には「内野守備・走塁コーチ」でしたね。

八重樫 角とは二軍で一緒に指導者として活動したけど、コーチになってから少しだけ性格に変化が見られたんです。現役時代は決して怒らず、いつも穏やかなタイプだったのに、指導者になってからは少しずつ怒るようになったんですよね。

――言うことを聞かなかったり、伸び悩んでいたりする若手選手に喝を入れたり、気合いを入れたりするためですか?

八重樫 僕も経験があるけど、コーチになったばかりというのは「何とかこの選手を一人前にしたい」と真剣なのに、その思いに選手がついてこられないと、もどかしくて、ついつい大声を出したくなるんです。真面目な指導者こそ、そうなりがちなんだけど、必ずしも「熱血指導」がいいわけじゃないから、選手によって接し方を変えていく必要がある。コーチになったばかりの角が大声を出したり、イライラしている姿は印象に残っていますね。

――確かに選手の個性に応じて、熱血指導を試みたり、淡々と諭すようにしてみたり、アプローチの方法を変えていく必要はあるでしょうね。具体的にはどんな選手を指導していましたか?

八重樫 コーチ一年目は、確かにイライラしている様子だったけど、二年目ぐらいからは落ちついてきましたよね。角が熱心に指導していたのは笘篠(賢治)でしたね。新人だった関根(潤三)監督時代には出場機会が多かったけど、野村(克也)さんが監督になってからはだんだん出番が減っていった。でも、角は「笘篠を何とかしたい」という思いで、一生懸命に指導していましたね。

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