松坂大輔にとって「近くて遠かった金メダル」。アテネで寝られず悔やんだ、たった1球の失投 (2ページ目)

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yuta
  • photo by Reuters/AFLO

 あれっ、打球が、来ない。

 一瞬、そう思うほど、その時の松坂にとっては長い間があったのだという。

 捕れる......いやっ、ダメだ、間に合わない。

一瞬、グラブが反応したものの、ほぼ同時に体を右に捻って顔に当たらないよう、打球から逃げるのが精一杯だった。ボールから目線を切ったほんの0.0コンマ数秒の時間が松坂にはとてつもなく長く感じられたのだ。

 当たるっ......覚悟して、身を固くした。その直後──。

 ペシッ。

 松坂には、そう聞こえた。右ヒジの上、右肩の下。これを不幸中の幸いというのはあまりに酷だ。ヒジや肩を直撃していたら絶対に投げられなかった。それどころか投手生命さえ断ち切られていたかもしれない。ただ、二の腕の筋肉組織は破壊され、普通に考えたら投げられるはずのない松坂の耳には、ベンチ裏で誰彼となく叫ぶ声だけが響いていた。

「大丈夫か、無理すんな」

「大丈夫です」

 反射的にそう答えた松坂ではあったが、じつは何が大丈夫なのか、自分でもよくわかっていなかった。

「興奮状態だったから痛みを感じなかったんじゃないかって言われましたけど、そんなはずはない、痛かったです(苦笑)。上腕がマヒして感覚がなかったし、指先もマヒしていたのでだいたいの感じで投げたら、最初はスライダーも抜けた。あの状況でインコース、まっすぐのサインが出たら、それも抜けてバッターの頭にぶつけるかもしれなかったわけで、そりゃ、怖かったですよ」

 そう振り返った松坂の右上腕には紫色のアザがくっきりと残っていた。それでも悲運の降板にならない、いや、そうさせないところがいかにも松坂らしい。打球直撃のおかげで『逆境』という要素が加わり、松坂のピッチングはさらに見るものの心を震わせた。

キューバを相手に8回までゼロに抑えるピッチング。日本はオリンピックで5戦全敗だったキューバを相手に、ついに初勝利をもぎ取ったのである。ウイニングボールを手にミックスゾーンへ引き上げてきた松坂は「なんとでもなる、なんとでも......」と言って、ニヤッと笑った。

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