松坂大輔、悔し涙で終わったシドニーの427球。人知れず「もがき苦しんでいた」プロ2年目 (3ページ目)

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yuta
  • photo by Koji Aoki/AFLO SPORT

 それでもオリンピック・パークのマウンドに立った松坂は、そんな言葉とは裏腹に、凄まじいボールを投げていた。シドニーでの彼のボールには、迷走していたプロ2年目の苦しみを振り払おうという、獰猛な荒々しさがあった。ただ同時に、その荒々しさを最後まで貫けない、松坂らしくない迷いも垣間見られた。

 とりわけ印象的だったのは、銅メダルが懸かった3位決定戦の韓国戦だ。

 0-0で迎えた8回裏、松坂はツーアウト二、三塁のピンチを背負っていた。打席には3番の李承燁(イ・スンヨプ)。予選リーグの最初の対決こそ彼に手痛い一発を浴びてしまったものの、その後の6度の対決ではノーヒット、5三振と、完璧に抑え込んでいた。

 その5つの三振は、ストレートで奪った三振が1つ、スライダーが1つ、フォークを決め球に使ったのが3つ。とくにここまでの李承燁は、松坂のフォークにまったくタイミングが合っていなかった。しかし松坂はこの打席、ストレートで空振りを2つ取り、李承燁を追い込んだ。

 そして、フルカウントからの勝負球。

 松坂はキャッチャーの鈴木郁洋のサインに3度も首を振る。松坂は迷っていた。

「ホームランを打たれたのが真っすぐだったので、あそこでスッと真っすぐを投げられなかったんです」

 迷った挙げ句、松坂が選んだのはやっぱりストレートだった。しかし迷いが怪物の手元を狂わせたせいか、高めを狙った153キロは甘く入ってしまう。大事な、大事な場面でのコントロールミス。これが左中間への2点タイムリーとなって、日本の銅メダルは幻となって消えた。

 3位決定戦での敗戦が決まった瞬間、真っ先にグラウンドに背を向けたのは松坂だった。メダルなしが決まって、選手たちが泊まっていたホテルで行なわれるはずの祝勝会は、慰労会となった。20歳になったばかりの松坂は、手にしたグラスにビールを注がれる。

「いやぁ、最後に飲まされました......ビール一杯だけですけど」

 その一杯のビールのように、松坂にとってはほろ苦い427球だったに違いない。悔し涙とともに松坂のシドニー五輪は終わる。そしてその4年後、松坂にまたも世界一への"リベンジ"のチャンスがやってくることになる。舞台となるのは古代オリンピック発祥の地、アテネだった―― 。

後編に続く

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