ヤクルト土橋勝征などを名手に育成。八重樫幸雄が見た水谷新太郎コーチの熱血指導 (3ページ目)

  • 長谷川晶一●取材・文 text by Hasegawa Shoichi
  • photo by Sankei Visual

【野球ひと筋の人生を歩んだ熱血指導者】

――ヤクルトで長くコーチを務めた後、ベイスターズでも指導し、2015~2017年は古巣に戻って、再びヤクルトのコーチになりました。現役引退後は指導者ひと筋の野球人生ですね。

八重樫 現役時代から生真面目な男でしたから、泥まみれになって若い選手と汗を流したり、その成長を間近で見守ったりするのは、彼の性格に合っていたと思いますね。

――確かに、生真面目な印象がありますが、ユニフォームを脱いだ時の水谷さんはどういう性格の方なんですか?

八重樫 もう、そのまんまですよ。入団から数年間は一緒に寮に入っていたんですけど、若いくせに全然遊ぶようなタイプじゃなかった。周りが心配するぐらい野球ひと筋の生活でしたからね。遊びを知らないんですよ。

――若い頃は、遊びたい盛りでも不思議じゃないのに(笑)。

八重樫 当時、ヤクルトのファームの本拠地は神奈川の武山にあったんです。休みの日にはよく横須賀まで行って、水谷と食事をしましたね。だけど、あの頃は普段から女っ気が全然なくて心配しましたよ(笑)。

――余計なお世話だと思いつつ、周りが心配するのもわかる気もします(笑)。

八重樫 でも、水谷が一軍に定着する頃には、少しはそういう話も耳にしたから安心しました(笑)。そんなに酒を呑むタイプじゃないけど、若手がうまく育たなかったり、エラーが続いた時には、ストレスのせいなのか酒を呑みながら不満を言ったりしていたけどね。選手の前ではそんな素振りは見せなかったですよ。

――水谷さんのお話を聞いていると、野球にかける情熱はハンパじゃなく、自らにとても厳しく、熱血指導がモットーの指導者というイメージですね。

八重樫 そのとおりですよ。入団してきた時から、コーチになってからもずっと変わらなかったし、一本気な男ですよね。

(第74回につづく)

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