2021.07.02

名参謀・橋上秀樹が語る名将3人の違い。「原辰徳監督は一から十まで自分で判断をしたい人」

  • 岡田浩人●取材・文 text by Okada Hiroto
  • photo by Kyodo News

 2005年、50年ぶりの新球団として誕生した楽天。しかし田尾安志監督率いる一軍の成績が低迷。フロントはシーズン途中の5月、一軍と二軍のコーチ陣を一部入れ替えるという荒療治に出る。

「コーチ陣の入れ替えで松井さんが一軍ヘッドコーチに、私も一軍外野守備・走塁コーチに昇格しました。1年目の成績は38勝97敗1分とパ・リーグで断トツの最下位。その翌年の2006年に野村監督が就任し、私は野村監督のもとでコーチをすることになり、再びID野球を学ぶことになったのです」

 野村監督の楽天1年目は、現役時代、"青い稲妻"のニックネームで知られた松本匡史氏がヘッドコーチを務めた。しかし現役を巨人で過ごし、野村監督のID野球と接点がなかった松本氏は「非常に苦労をされていた」と橋上氏は振り返る。そして、夏のある日、橋上氏は野村監督から思いもよらなかった要請を受ける。

「2006年7月、札幌遠征の試合が終わった後のことでした。長いミーティングがあって、その後にホテルに帰ったところ内線の電話が鳴った。マネージャーから『今から来てくれ』と言われ、部屋に行ったら野村さんと球団代表が待っていました。そこで『来年からヘッドコーチをやってほしい』と伝えられました。シーズン途中の、まだ7月のことだったので驚きました。そこで『残りのシーズンは来年を見越した上で臨んでほしい』『来シーズンのコーチ人事のことも考えてくれ』と。試合の時も、それまではずっとベースコーチをしていましたが、ある時に野村監督から『これからはベンチにいろ』と言われ、隣に座って"ボヤキ"を聞くようになりました。

 実際、その年のシーズン終盤になって、『来年の一軍のスタッフィングに関して希望は?』と球団に言われました。ヘッドコーチは人事まで意見を求められるのか、と驚きながら、一軍外野守備・走塁コーチの(自分の)後任を誰にするかを考えました。そこで当時楽天で野手をしていた佐竹学(現・オリックス外野守備・走塁コーチ)に白羽の矢を立てました。本当は翌年以降も現役として契約をする予定だったそうですが、引退させてコーチを引き受けさせた(笑)。のちに佐竹に「まだ現役でできたのに申し訳ない」と謝ったら、「いやいや、おかげでコーチとして長くユニフォームを着られますから」と言っていました。あれから15年......彼は今もオリックスでコーチをしています」