ヤクルトのドラフト9からスタメンに。広岡達朗がつきっきりで育てた守備職人

  • 長谷川晶一●取材・文 text by Hasegawa Shoichi
  • photo by Sankei Visual

【猛練習で、プロ入り後に左打ちに転向】

――水谷さんはプロに入ってから左打ちにトライしたんですよね。

八重樫 プロ2年目くらいに右打ちから左打ちに挑戦して、最初の頃はしばらくスイッチヒッターを目指していました。変化球にすごく弱かったし、右バッターなのに走り打ちをしていたんです。それで、中西太さんが「お前は足が速いんだから、左で打ってごらん」とアドバイスをして、左打ちを始めたんですよ。

――もともとは右打ちで、プロ入り後に左打ちに挑戦したものの、スイッチヒッターにはならずにずっと左で打っていましたよね。

八重樫 最終的には「左のほうがいい」と自分で判断したみたいですね。練習ではたまに右でも打っていましたけど。一から始めたことだから、本当に大変だったと思うけど、彼は練習が大好きなんです。タフなのもあるから、自分が納得するまでは絶対に練習をやめない。いつも、「すごくスタミナのある頑張るヤツだなぁ」と見ていました。どんなにキツイ指導を受けても、決してふて腐れないんですよ。

――どんなにキツイ練習でも、ですか?

八重樫 そうそう。とにかく、コーチに食らいついていましたよ。思うようにできなかったり、満足いかない時には、自分で自分に憤慨しているんです。いつも、ひとりで怒っているんです。だから、「水谷、お前はいつも何に怒っているんだよ?」って、聞いたことがあって。すると、「いやぁ、これがどうしてもできなくて......」とか言うんで、「じゃあ、できるまで頑張れよ」って言うしかできなかったよ(笑)。

――努力家であり、練習の虫なんですね。

八重樫 入団した時から、「1年でも早く一軍で活躍したい」という気持ちが全面に出ていたのが水谷でしたね。でも、入団から数年は一軍に呼ばれることはなかったから、相当悔しかったと思いますよ。そうしている間に、広岡達朗さんがヤクルト入り(1974年から守備コーチ)して、チャンスをつかんだんです。

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