「ライフルマン」船田和英はいつもカッコよかった。それを実現させていた試合前のある習慣 (2ページ目)

  • 長谷川晶一●取材・文 text by Hasegawa Shoichi
  • photo by Kyodo News

【何も知らされず、突然逝ってしまった......】

――船田さんは1992(平成4)年5月28日に50歳の若さで病気のために亡くなりました。船田さんのご病気のことは知っていたんですか?

八重樫 僕たちは何も知らされていなかったんです。亡くなる年の春のキャンプの時かな。野村(克也)さんから、「船田の体調が悪いらしい」と聞いたんです。でも、詳しい病状も、どこに入院しているのかも知らされないまま、それからしばらくして亡くなったんですよ。

――船田さんが亡くなったのが1992年5月28日のことでした。この連載でも取り上げた大杉勝男さんが亡くなったのが、同年の4月30日。およそ、1カ月後のことでしたね。

八重樫 以前も言ったと思うけど、大杉さんの時は病状も知っていたので、こちらも覚悟をした上でお見舞いに行って、亡くなる数日前に会うことができたけど、船田さんの場合はそれもかなわず、「昨日亡くなった......」と連絡を受けたんです。一度もお見舞いに行くことができなかったので、それが今でも心残りなんです。

――まったく予兆もなかったんですか?

八重樫 前年の1991年の秋、宮崎の西都キャンプの時に体調を崩して、入院したということは後で知りました。宮崎じゃなくて、東京に戻って入院したそうです。それ以降、春のキャンプで(病状を)ちょっとだけ聞いて......。お葬式に行ったのかどうかもよく覚えていないんです。大杉さんの葬儀のことはよく覚えているのに、どうして船田さんのことは覚えていないのか? お葬式にも行っていないのかな? お見舞いにも行けず、死に顔も見られなかったので、本当に「亡くなった」という実感がないんです。

【鏡に映して全身チェックを怠らなかった】

――亡くなられてから、30年が経過しようとしています。あらためて、生前の船田さんの印象や思い出を教えていただけますか?

八重樫 船田さんと言えば、「ライフルマン」っていうあだ名があったでしょう。アメリカのドラマ『ライフルマン』の主人公、チャック・コナーズに似ているということで話題になってね。本当に日本人離れしている彫りの深い顔立ちでね。後にじっくりとチャック・コナーズの写真を見た時に、「やっぱり似ているな」って思ったんですよね。

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