巨人・山口俊がたどる道は? 黒田博樹などメジャーからの「出戻り」後に活躍した先発投手たち (2ページ目)

  • 白鳥純一●取材・文 text by Shiratori Junichi
  • photo by Sankei Visual

 横浜に復帰して1年目の2010年は、先発ローテーションの一角として、チーム2位の7勝(9敗)を記録した(※チーム最多勝は10勝11敗の清水直行)。同シーズンの横浜はわずか48勝しかできず、5位の広島からも10.5ゲーム離される最下位。特に投手陣はチーム防御率4.88と崩壊したが、大家はそんな苦しい台所事情を支えた。

 翌2011年は未勝利に終わり、このシーズン限りで自由契約に。その後はBCリーグ(現ルートインBCリーグ)の富山や福島、アメリカ独立リーグでのプレーを経て2017年に引退し、現在は横浜DeNAベイスターズの二軍投手コーチを務めている。

【技巧派に転身した、元日本最速右腕】

 星野仙一監督率いる阪神が18年ぶりのリーグ優勝を勝ち取った2003年。先発ローテーションの一翼を担ったのが、7年ぶりに日本球界に復帰した伊良部秀輝だった。

 同年に13勝を挙げた伊良部は、かつて所属したロッテの本拠地、千葉マリンスタジアム(現ZOZOマリンスタジアム)で開催されたオールスターゲームにも先発として登板。久々の凱旋で球界を盛り上げた。

 ロッテ時代は、日本を代表する速球派として鳴らした伊良部。最多勝(94年)、2度の最優秀防御率(95、96年)、最多奪三振(94年、95年)といったタイトルもさることながら、1993年5月3日の対西武戦で、清原和博を相手に日本最速記録となる158キロ(当時)のストレートを投じるなど、記憶に残る多くの名勝負を演じた。

 そして1997年、物議を醸した「三角トレード」の末、ニューヨーク・ヤンキースに入団。さまざまな非難の声に晒されたものの、1998年には13勝、翌1999年には11勝を挙げ、ヤンキースの2年連続世界一に貢献した。

 その後、エクスポズとテキサス・レンジャースでプレーし、2003年に阪神に入団。技巧派に転身した伊良部は、速球と速度差が大きいフォークやスローカーブを織り交ぜて打者を手玉に取り、同年のリーグ優勝の原動力になった。

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