巨人OBでヤクルト初優勝時の守備の名手。現役晩年、打撃は「新田理論」で開眼した (3ページ目)

  • 長谷川晶一●取材・文 text by Hasegawa Shoichi
  • photo by Sankei Visual

――具体的に、どのように変化していったんですか?

八重樫 バットが鞭のようにしなるというのか、体に巻きつくようなスイングに変わりました。いわゆるインサイドアウトのスイングを自分のものにして、3割を打ったり、長打力がアップしたり、いきなり打撃が向上した。それで、1976年にはカムバック賞も受賞しましたしね。

――1978年の初優勝時にも、大活躍していましたね。

八重樫 前にも言ったけど、1978年に僕はひざを故障していたので、ずっと入院してたんです。入院先のベッドでスポーツ新聞を読んだり、スポーツニュースを見たりしていたんだけど、「また昨日も船田さんが打ったのか」って感じたことを覚えていますね。草薙球場でサヨナラホームランを打ってマジックを減らした試合も印象深いです。

【ベテランになっても、常に全力プレー】

――先ほど、「後輩の面倒見がいい先輩だった」というお話がありましたが、厳格な広岡さんとの関係はどうだったんですか?

八重樫 広岡さんとはフランクにしゃべっていましたよ。そういう選手はあまりいないから珍しかったです。船田さん自身も怠慢プレーは嫌いだったので、ちょっと手を抜いて走るような若手には、試合後に呼び出して「きちんと走らなくちゃダメだろ」と叱っている場面もよくありました。そういう意味では、広岡さんとも野球観が近いというのか、同じような考えを持っていたんじゃないのかな?

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