2021.06.09

月収14万円の社会人チーム5番手から1億円選手へ。ソフトバンク嘉弥真新也が歩んだ大出世の道

  • 菊地高弘●文 text by Kikuchi Takahiro
  • photo by Koike Yoshihiro

 同期入社の捕手・宮里伊吹木(いぶき)は、入社当時の嘉弥真についてこんな印象を抱いたという。

「ボールは速くないし、パッとしないな」

 宮里の嘉弥真に対する評価は「3人いる投手陣の3番目」。ただし、当時の嘉弥真は不規則に変化する「嘉弥真ボール」というチェンジアップ系の変化球を投げていた。人差し指と中指の第一関節をボールに立てる嘉弥真ボールの複雑な握りを見て、宮里は「器用なのだろうな」と判断した。裏を返せば、投手としてはそれくらいしか特徴がなかった。

 入社して1年が経ち、2年目には2人の投手が加入した。2人ともすぐに戦力になり、嘉弥真の立場は4~5番手格まで落ちた。宮里は「本当に、どこにでもいるようなピッチャーでした」と振り返る。

 そのまま何事もなく時間が流れていれば、嘉弥真はクラブチームの平凡な一選手で終わったに違いない。監督の下地は感慨深そうに言った。

「宮里伊吹木がいなかったら、嘉弥真はプロ野球選手になれていなかったと思いますよ」

 転機は宮里がチームの主将になったことだった。

 ビッグ開発は3年で力をつけ、県内最強の企業チーム・沖縄電力に勝つことを目標にしていた。宮里は目標を叶えるために、まずは投手陣の底上げを図った。

「午前中だけの練習では足りないので、仕事が終わった後の20時くらいから自主練習を始めたんです。僕がメニューを考えて、夜中の22時くらいまで走り込んだり、ブルペンを借りて投げ込んだりしていました」

 当時の嘉弥真は、主体性のかけらもない人間だったと宮里は証言する。

「自分から進んで練習するタイプじゃありません。人から『やろう』と言われてやっと、『やるんだったらやるよ』と答えるような性格でした」

 社員寮の近くの外周1キロほどの公園をよく走った。宮里は自分の練習を犠牲にしてまで、投手陣の走り込みに付き合った。

 チームを強くしたい一心で突っ走る宮里とは対照的に、厳しい練習を課せられる投手たちは不満たらたらだった。ぶつぶつと漏れ聞こえてくる文句を無視して、宮里はさらなる厳しいメニューを課していった。