月収14万円の社会人チーム5番手から1億円選手へ。ソフトバンク嘉弥真新也が歩んだ大出世の道 (2ページ目)

  • 菊地高弘●文 text by Kikuchi Takahiro
  • photo by Koike Yoshihiro

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 高校入試に失敗したら恥ずかしい。そんな思いが先立ったという。当然、八重山商工に硬式クラブ・八重山ポニーから好選手が集まっている事情も知っており、「すごいメンバーだとわかっていたので」と尻込みしたのも一因だった。

 そもそも、嘉弥真は幼少期から特別に目立つ存在ではなかった。小学校と中学校のチームメイトには、嘉弥真が「ずば抜けていた」と語る好選手・長間翔悟がいた。幼馴染みの長間が八重山農林への進学を決め、嘉弥真も同じ道に進むことにしたのだ。

 高校3年夏は長間がエースで、嘉弥真は控え投手兼外野手。長間に張り合う気はさらさらなく、投手へのこだわりもなかった。嘉弥真は言う。

「ピッチャーよりバッティングのほうが好きだったので。ただ左投げだからという理由で投げさせられていた感じです」

 高校3年夏の沖縄大会では初戦敗退。嘉弥真は4安打を放ったものの、投手としてはリリーフでリードを守り切れず、敗戦投手になっている。

 プロになりたい思いなど、微塵もなかった。

「就職先を探さないといけないな」

 そう考えていた嘉弥真は、恩師の砂川玄隆から沖縄本島の那覇にある不動産企業・ビッグ開発への入社を勧められた。

 翌年からビッグ開発が硬式野球部を創部し、クラブチームとして日本野球連盟に登録することになっていた。チームのコンセプトは「沖縄県内の選手の受け皿になる」。その一期生となる部員を探していたのだ。

 ビッグ開発の創業者であり、クラブチームの監督を務める下地剛は、高校3年の10月に面接を受けにきた嘉弥真のことを今でも記憶している。

「絶対に野球をやってプロになりたいとか、企業チームにスカウトされたいとか、そんな野心めいたものは感じなかったですね。あくまで就職活動の一環として受けにきた感じでした」

 下地の評価は「打者としてミート力、センスがある」という程度。メンバーが少なかったため、「投手兼外野手」として採用が決まった。午前中にチームの練習、午後からビッグ開発が管理する物件の清掃に回る生活がスタートした。

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