里崎智也が語る「ボビー・バレンタインが最高の監督である理由」 (3ページ目)

  • 浜田哲男●取材・文 text by Hamada Tetsuo
  • Photo by Kyodo News

――バレンタイン監督が里崎さんにかけてくれた言葉で、うれしかった言葉はありますか?

里崎 ボビーが2度目のロッテ監督に就任して1年目(2004年)、僕は半月板が割れて手術を受けたのですが、手術前も手術後も病院にボビーが来てくれて......その時はうれしかったですね。たまたま病院が近い千葉で試合があったからかもしれませんが、そんな監督には会ったことがないです。

 僕以外の選手がケガから復帰した時も、2軍の試合などをよく見に来ていました。やっぱりそういうことをしてくれると、「この監督のために頑張ろう」と思いますよね。誰もがそうだと思いますが、物事がマイナスに振れた時に寄り添ってくれる人はありがたいです。

――バレンタイン監督は、ファンサービスの面でも自らが先頭に立っていました。試合後に球場外周にファンを集め、ステージでライブをするといった里崎さんのファンサービスは、バレンタイン監督の影響も大きかったですか?

里崎 ボビーの影響は大きかったと思いますよ。ロッテは野球だけしていても記事にならないので、知名度も上がらない。球団のレジェンド、福浦(和也)さんでも野球ファン以外で知っている人は少ないんじゃないですかね。だから野球以外のことでもアピールしないといけなかった。

 ボビーがいた時はロッテだけでなく、パ・リーグ全体が大きく変わっていきましたよね。当時は日本ハムに新庄(剛志)さんもいましたし、ボビーと新庄さんのおかげで「ファンサービスに注力していこう。パ・リーグを盛り上げていこう」という流れになりました。当時は、ロッテのファンサービスの視察にたくさんの球団スタッフが来ていましたよ。今、各球団がやっているファンサービスの多くは、ボビーと新庄さんがやっていたことと同じです。

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