2021.06.07

失明の危機も「投げてくれんか」。カープ初優勝のスーパーマン投手

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki

 なかでも、「頭で理解したからといって、毎日取り組んでもできないことはいつまでたってもできない。それをわからないまま、みんなクビになっていくのだから、自分で工夫してできることをやれ」という教えは特に響いたという。

 この指導でプロ意識が高まった金城さんは、同年40試合に登板して10勝6敗という成績を残した。131回1/3を投げて、防御率2.54はリーグ8位だった。決め球は「荒れ球」で明確な変化球もなかったが、曲がらないカーブがチェンジアップのような効果をもたらし、緩急をつける投球で結果を出した。

 そして、翌74年の金城さんは一気に前年の倍増となる20勝を挙げる。同じく20勝を挙げた中日の松本幸行(ゆきつら)とともに最多勝のタイトルを獲得した一方、リーグ最多となるシーズン207個の奪三振を記録した。

「でも、あれは作られた20勝やから。もうチームは最下位で、お客さん喜ばすために外木場さんと二人で最多勝争いして話題を作ったような。勝てそうな試合に投げさせてもらったり、5勝ぐらいは球団の方針みたいなもので勝たしてもらったと思います。

 ただ、同期の佐伯と張り合ってたから。前の年、僕が10勝のときに佐伯が19勝してクソッと思ってたんで、20勝してやっと肩並べたなっていう気持ちにはなりましたけどね」

 球団の方針による結果だったとしても、44試合に投げて11完投、完封も2試合。18勝を挙げたエースの外木場義郎(そとこば よしろう)と同等の働きだった。ところが、同年オフ、同じ球団の方針のあおりで、金城さんは選手生命の危機に立たされることになる。

「オーバーホールを兼ねた20勝のご褒美」として、球団の費用で大分・別府温泉に滞在中の10月12日。霧の深い朝、車同士が正面衝突する交通事故に巻き込まれ、助手席に乗っていた金城さんは顔がフロントガラスを突き破る重傷。両眼が傷つき、失明寸前になった。