2021.06.07

プロ野球史上、唯一無二の美しさ。金城基泰が語る、あのアンダースロー

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki

「それが面白いんです。後で聞いたらね、『ピッチャーでもまあまあやと思っとったんやけど、本当はバッターやった』って。『1年間、好きにやらして、本人が納得したらバッターに変わるやろう』って。実際、自分でもバッティング、好きでした。そっちのほうが自信あったかもわからんですね」

 日本ハム(当時)の大谷翔平がDHから抑えに成り変わり、165キロを出したのが3日前(2016年10月16日)。全盛期の速球は150キロを超えていたといわれる金城さんがもしも"二刀流"だったら、などと瞬間的に妄想したのも束の間、肝心の取材テーマから離れていることに気づく。その独特のアンダースローのフォームは、高校時代が原点だったのか。

「高校2年生のとき。3年生が抜けて、ピッチャーをやるようになってからですね。投げとって、ストライク入らない。球速いんですけど。そしたら監督に言われてね」

 監督は「ちょっと腕下げてみい」と言った。当初、感覚としてはスリークォーターだった。が、気がついたら下手投げになっていて、手が地面に着くほどだったという。では、腕を下げることによって、ストライクが入るようになったのだろうか。

「いや、それでも入らなかった。要はストライク取りにいって、撫(な)でるように投げてた。で、最後、うまいこといかんからイライラして、思いっ切り投げたんです。そしたら、その球がバシッと決まった。え? 思い切り投げたらええんかと。それから入るようになって。プロでもそんなにコントロールよくなかったけど、ストライクはいつでも取れるピッチャーになりましたね」

 それにつけても不思議なのは、金城さん自身、自然に下から投げるようになっただけで、アンダースローという感覚がなかったということだ。何しろ、自身が投げる姿を初めて映像で見たとき、「誰や? これ」とびっくりしたというのだから。

「本格的にアンダースローを意識したのはプロ入ってすぐ、監督の根本さんが、杉浦さんのフォームの分解写真を持ってきてくれてからです。新聞社に頼んでくれたらしくて、『これを見て勉強せえ』と。それまでまともに野球やってなくて、自己流でしたから、実際、写真はよう見とったんです」