2021.06.07

プロ野球史上、唯一無二の美しさ。金城基泰が語る、あのアンダースロー

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki

 ともかく、巨人の話題が出て話の取っ掛かりがつかめた。金城さんが一軍で結果を出し始めた72年は、V9時代の真っ只中。逆に広島は同年から3年連続最下位。巨人というチームは、まだライバルではなかっただろう。

「全然、ライバルじゃない。ヤクルトがライバル。だから神宮に行ったらね、3連戦の1戦目、2戦目は険悪なんですよ、お互いに。5位6位争いやから。で、3試合目になったら最後、7回ぐらいからね、応援団がエール交換するんです。『また頑張って会おうぜ〜』『あんまり上に行くなよ〜』言うて」

 奇しくも、前年(2015年)優勝チームのヤクルトと、今年(16年)優勝チームの広島の話だから感慨深い。応援団といっても、当時は外野席ではなく内野席で小規模に形成されていたから、それはそれはささやかなエール交換だったのだろう。

「カープは僕らの頃、ほんまに田舎球団でしたからね。お金がなかったし、最初は球場もなかったし、練習グラウンドもなかったから、球団ができて25年間も優勝できなかった。ピッチャーだけは常に四本柱っていうのがあったから、5月まで、鯉のぼりの季節までは持つけど、打力が弱かったから」

 事実とはいえ、自身が育った球団に関して、卑下するように語る。そんな金城さんにとって、プロ野球とは憧れの世界だったのだろうか。

「いや、憧れはないです。そのへんの畑で三角ベースやってるうちに好きになっただけで。クラブでもやったことないし、本格的にやったのは中学校から。しかも僕は鈍くさくて守備が下手だったから、弱い学校なのに補欠でね。ほかに誰もやらないキャッチャーでやっとレギュラーになれたんです」

 それでも、此花商高入学に際しては、野球部監督の前でキャッチボールを何球か行ない、バットを数回振っただけで合格したという。

「でも、軽い気持ちで、ええ加減な感じでやってました。野球は好きで、うちの親父も好きでしたけど、途中で『お金かかるからやめてくれ』って言われてね。先のことは特に考えてなかった。だいたい無名校の無名選手やし、夏の大阪大会も一回戦で負けてるし。それで親には『どこでもええから大学は出とけ』と言われていて、プロなんて考えようもなかったわけですよ」