名手・荒木雅博がイップスの恐怖に引きずり込まれたウッズの守備範囲 (2ページ目)

  • 菊地高弘●文 text by Kikuchi Takahiro
  • photo by Sankei Visual

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 意外な人物の名前が挙がってきた。ウッズは2003年に横浜に入団し、2年連続本塁打王の看板を引っ提げて2005年より中日に移籍。2008年までの4年間プレーし、NPB6年間で驚異の240本塁打を放ったスラッガーである。

 ウッズとイップスの因果関係の前に、荒木が語った「時期」が引っかかった。ウッズが中日に移籍した2005年時点で、荒木はプロ10年目。2001年シーズン途中からレギュラーを奪取しており、イップスを発症したのはレギュラー定着後ということになる。

 荒木によると、若手時代から送球のコントロールが悪い自覚はあったものの、イップスというほど致命的な状態ではなかったそうだ。若手時代のスローイングについて、荒木は「そこまで深く考えていなかったし、逸れることはあっても悩むほどではなかった」と振り返る。

 たしかな送球技術を得たレギュラー定着後に荒木がイップスになった背景には、控え時代とは比べ物にならないほどの精神的な重圧があった。

「試合に出るようになって、お金を稼ぎ始めてからですね。アマチュアではエラーなんてつきものですけど、プロになってしまえばお金を稼ぐわけですから。一つのミスが大きくなりますし、投げているピッチャーやほかの野手にも迷惑をかけてしまう。やっぱりそのプレッシャーはあったんでしょうね」

 そうした重圧に、「ファースト・ウッズ」の存在が拍車をかけていく。スラッガーとしては申し分なかったウッズだったが、守備範囲は極端に狭く、捕球能力も低かった。ある試合では、ショートの井端弘和が投じた頭部付近へのノーバウンド送球をミットに当てることすらできず後ろに逸らし、井端が「あれも俺のエラーになるの?」と嘆いた逸話が残っている。

 一定の場所に投げなければファーストに捕ってもらえない。そのうえ、荒木にはもう一つネックがあった。

「体の不調からくるやつ(イップス)もあると思うんですよ。僕の場合は、肩がずっと痛かったんです」

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