「清原和博クラスの選手になれた」八重樫幸雄が惜しむ長嶋一茂の才能【2020年度人気記事】 (3ページ目)

  • 長谷川晶一●取材・文 text by Hasegawa Shoichi
  • photo by Sankei Visual

――野村監督時代のコーチだった伊勢孝夫さんの著書『伊勢大明神の「しゃべくり野球学」』(双葉社)には、ミーティング中に一茂さんがマンガを描いていて、伊勢さんが叱責したら、「マンガじゃありません、UFOです」と言われたというエピソードが紹介されていました(笑)。

八重樫 いかにも一茂らしいよね。実際に野村さんの時代に一茂の出番はどんどん減っていったし、ヤクルトが14年ぶりに優勝した1992(平成4)年は、ドジャースに野球留学していて一試合も出場していなかったからね。1993年に巨人に移籍するのは仕方がないことだったのかもしれない。

――当時、チーム内で浮いているような状態だったんですか?

八重樫 浮いているということはなかったと思うけど、一部では「親の七光りだ」という見方もあったのかもしれないね。でも、同い年の池山(隆寛)は一茂と仲がよかったし、積極的に受け入れている感じだったよ。

【テレビの世界で頑張っているのが嬉しい】

――1993年にジャイアンツに移籍した一茂さんは、1996年限りで現役を引退。そのあとは、キャスターやタレントとして活躍しています。ということは、八重樫さんとの接点は1992年までということになりますね。

八重樫 そうですね。彼がジャイアンツに移籍してからは、接点はなくなったかな。でも、今でも「一茂はスーパースターになれたのにな」という思いは、僕の中にはあります。ハッキリ言えば、広澤(克実)どころのレベルじゃないですよ。野球の考え方、取り組みさえ違っていたら、清原(和博)クラスになっていたと思います。

――そこまで、一茂さんのポテンシャルを高く評価しているんですね。

八重樫 していますよ。今まで、何人もドラフト1位ルーキーを見てきたけど、あそこまで恵まれた体格、体力を持っている選手は一茂以外には思い浮かばないですから。本当にもったいない。それは今でも強く思うね。

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