中日を支えたお買い得な名助っ人たち。森繁和が明かす中南米ルートの構築秘話 (4ページ目)

  • 中島大輔●文 text by Nakajima Daisuke
  • photo by Kyodo News

 ドミニカではキャッチボールの1球目から強い球を投げるのは当たり前の慣習だが、ネルソンにはテストを早く終わらせたい理由があった。

「とにかく腹が減った。ハンバーガーとホットドッグが食べたい」

 ネルソンはヤンキース時代の2005年、アメリカでドミニカ人グループによる結婚詐欺に関与して解雇された。母国に帰国後はサマーリーグでプレーしつつ、農業などもかけ持ちしながら食いつないだ。そんな折、森氏に才能を見込まれる。ネルソンには約1070万円という年俸に加え、結果を残せば残すほど稼げる出来高が魅力に映った。

「『1試合投げたら出来高がこれだけだよ。1イニング投げたらこれだけだよ』と言ったら、『毎日投げたい』って言っていたよ」

 イスラエルリーグを経て2008年に中日入りしたネルソンは4年目の2011年にリーグ最多の31試合に先発して、10勝をマーク。入団テストに裸足で現れた右腕は、森氏の期待に応えた。

「ピッチャーなら先発して10勝してくれるか、1イニングで150キロ以上投げられるリリーフをまずは探した。そうしているうちに、落合監督から『バッターも頼む』となったんだよ。オレが見てもわからないけど、『ピッチャー目線で、投げていて嫌な選手を探してこい。長打があると思ったら、連れてくればいい』と言われてね」

 結果、"大当たり"したのがトニ・ブランコだ。メジャーリーグでは活躍できなかったものの、森氏は可能性を見出した。

「巨人にいた会田有志という右のアンダースローがウインターリーグに来ていて、彼から2打席連続ホームランを打ったんだよ。速いボールは詰まってファウルばかりだけど、スライダーを投げたらライトポール側に場外を2本。これだったらなんとかなるなと思った。速いボールに三振ばかりしていたけど、ヒットが出る時はほとんどホームラン。そこが魅力だった」

 ブランコは来日1年目の2009年にリーグトップの157三振を記録したが、39本塁打、110打点で二冠に輝いた。年俸は約3000万円。これほど"お買い得"の助っ人は、そう簡単には見つからない。

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