若松勉は「周りに耳を貸しすぎた」。楽天監督説が流れた八重樫幸雄にショックなひと言 (3ページ目)

  • 長谷川晶一●取材・文 text by Hasegawa Shoichi
  • photo by Sankei Visual

【「楽天初代監督」報道の際のやり取り】

――それは一体、どんな出来事なんですか?

八重樫 2005(平成17)年に楽天ができた時のことです。

――あぁ、「楽天初代監督に八重樫氏?」みたいな報道があった時のことですね。

八重樫 そう。その頃、ヤクルトは若松監督時代で、僕は打撃コーチだったんだよね。「楽天監督就任報道」が出た時のことなんだけど、若松さんに呼ばれて、「実際どうなんだ?」って聞かれたんです。

――実際のところ、監督オファーはあったんですか?

八重樫 全然、ないですよ。根も葉もないウワサ話だったんだけど、若松さんに「実際はどうなんだ?」と聞かれたのはショックだったな。だって、もしもそんな話があったら、真っ先に若松さんに報告していますよ。「信頼されていなかった」とは思わないけど、ちょっとだけ寂しかったな。

――長年、若松さんの近くに仕えていて、「監督・若松勉」というのは、どんなタイプの指揮官だったんですか?

八重樫 やっぱり、監督になってからは厳しくなりました。「優しすぎる監督」というのは難しいから、それは当然のことだと思います。ただ、ちょっと残念だったのは、周りの意見に耳を貸しすぎること。監督になると、付き合いが広くなるので仕方ない部分もあると思うんだけど、いろいろな人が寄ってきて根も葉もないことを言ったり、人の悪口や陰口を吹き込んだりするヤツが、たくさん周りに出てくるんですよ。

――そういう人たちがやっぱり登場するんですね。

八重樫 若松さんは気が優しいタイプだから、「そんなこともあるのか」と耳を貸して信用することもあるんです。そうなると、決断力も鈍ったり、誤った判断をしてしまったりするから、シャットアウトすべき意見はシャットアウトしなくちゃいけなかったと思います。

――当然、判断力、決断力に影響が出るでしょうね。

八重樫 野村さんのもとで「監督学」を勉強してきた若松さんだけど、決断は遅かった。慎重派だったし、心配性でもあったから、どうしても決断は遅くなるのもわかるんですけどね。でも、選手思いのいい監督だったし、僕たちコーチにも気を遣う監督でした。すごくやりやすい監督でしたよ。

――現在は若松さんも、八重樫さんもすでにユニフォームを脱いでいます。2人の関係性に変化はありましたか?

八重樫 今は年に1度か2度くらい会う程度だけど、長い関係だからまったく変わらないですよ。以前、沖縄キャンプで会った時、若松さんは臨時コーチだったんだけど、僕の姿を見つけて「おいハチ、お前も手伝ってくれよ」と言われました。僕はあいさつに顔を出しただけだったので、「僕はお金をもらってないんだから、ワカさんが責任を持って教えなよ」と返しました(笑)。年齢は若松さんのほうが上だけど、まったく偉そうな態度をとらない、とても気さくな先輩ですね。

(第61回につづく>>)

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