「今いるメンバーでどう優勝するか」三浦大輔監督が語る今季と「ハマの番長」秘話 (2ページ目)

  • 佐藤俊●文 text by Sato Shun
  • photo by Koike Yoshihiro

 元監督の権藤博氏は98年から2000年まで3シーズン、チームを率いた。98年はマシンガン打線と抑えの「ハマの大魔神」こと佐々木主浩が活躍。三浦監督も12勝を挙げ、38年ぶりの日本一に貢献した。

 権藤氏はどんな監督だったのだろうか。

「攻めて打たれた時は何も言われないんですけど、逃げのピッチングをした時は怒られましたね。ただ、監督って話しづらいものなんですけど、権藤さんは風呂場でもロッカーでも普通に話しかけてくる。『あれ、権藤さん、試合のこと忘れてんの』っていうぐらいサバサバしていて......監督はそういう切り替えがすごく大事なんだなって思いました。だから、その頃は、打たれても引きずらなかったですね。また次、頑張ろうって思えたので」
 
 また三浦監督のトレードマークといえば、"リーゼント"である。今も記者会見など公式の場では髪型を整え、そのヘアスタイルは変わらない。

 中学の時に矢沢永吉の曲を聴いてから熱烈なファンになり、自伝『成りあがり』を読み、自らもプロになって成り上がるという気持ちでボールを投げ続けた。「矢沢さんがバイブルです」と語る三浦監督だが、リーゼントは矢沢の影響はもちろん、大好きなエルビス・プレスリーや高校時代に流行っていた『ビーバップハイスクール』の影響もあった。

「(リーゼントに)憧れがありましたね」

 プロ野球の世界は、昔はパンチパーマの選手はいたが、リーゼントはさすがにいなかった。尖った独特のヘアースタイルに、入団したばかりの選手が色気づいてとコーチたちの心象もよくなかったが、三浦監督は意地でも切らないと決めていた。

「髪の毛は切りたくなかったですね。最初はそういうことを言われるのも仕方ないかなと思いますが、髪型で判断されたくなかったですからね。ユニフォームを着ている時はリーゼントではないですし、野球に支障をきたすことはしていない。野球はちゃんとやろうと決めていたので、コイツは野球をしっかりやっているというのを見せたかったというのもありました。あと、小さい頃から高校3年の夏が終わるまで、ずっと坊主でしたから髪の毛を伸ばしたいという単純にそういう気持ちもありました(笑)」

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