2021.04.05

渡辺久信は退寮を求めて根本陸夫に直談判。「正攻法ではダメ」と強行策に出た

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki
  • photo by Sankei Visual

根本陸夫外伝〜証言で綴る「球界の革命児」の知られざる真実
連載第25回
証言者・渡辺久信(2)

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 西武入団3年目の1986年。渡辺久信は16勝を挙げて最多勝、最多奪三振の二冠に輝き、チームのリーグ連覇と日本一に大きく貢献。早くも主力投手陣の一角にのし上がると、プライベートでは六本木に遊びに行くようになり、弱冠21歳にして銀座に飲みに行くこともあった。

 だが、それでも若手合宿所=若獅子寮での生活は変わらない。監督の広岡達朗が採り入れた玄米食を除けば食事には何も不満はなかったが、部屋は四畳半ほどで狭く、暖房はあっても冷房がない。夏場の先発前日に暑さで十分な睡眠がとれず、仕事に支障をきたす可能性があった。

 入団4年目、西武鉄道から出向の「鬼寮長」に事情を話し、自ら冷風機を備え付けた。本来はルール違反だから、寮長は黙認したも同然だった。そうして初めて快適な夏を過ごしたが、制限の多い日々は変わらず。解放されるためには、球団管理部長の根本陸夫から許可を得る必要があった。現在は西武でGMを務め、「根本さんが目標」と言う渡辺に、当時の状況を聞く。

入団3年目に最多勝、最多奪三振のタイトルを獲得した渡辺久信「西武の寮のルールでは、高卒の選手は5年間、寮にいなくちゃいけなかったんです。でも、私は一軍でけっこう結果を出していたので『そろそろ、合宿所を卒業したいな。外に出ても大丈夫かな』と。ひとり暮らしに憧れた部分もあって、4年目が終わった時、根本さんのご自宅まで手土産を持って直談判に行ったんです」

 埼玉・所沢市、小手指にある根本の自宅。工藤公康をはじめ、ほかの選手は食事に招かれるなどしていたが、渡辺は「そこまで近しい関係じゃなくても......」という考えで、あえて根本とは距離を置いていた。ゆえにまったく初めての訪問で単刀直入に切り出した。

「今年で寮を出させてください」

「出さない」

「出せさてください。お願いします」

「最低5年、いないとダメだ。出さない」

 押し問答がありながら、小一時間、話し合いが続いた。選手の行きつけの店をすべて把握し、常々、各方面から情報を得ていた根本にすれば、譲れない部分があったのだろうか。最終的には「おまえはあと1年いろ」と命じられ、それで話は終わった。