斎藤佑樹「野球をやめなきゃいけないのか」。引退が頭をよぎり、重要な選択を迫られた (3ページ目)

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yuta
  • photo by Ichikawa Mitsuharu(Hikaru Studio)

 ヒジに張りがあっても、思い描くボールが投げられなくても、引き出しを開ければ何とかできると思ってしまう。良きにつけ悪しきにつけ、何事もポジティブに考える斎藤らしい発想ではある。もちろん年齢や立場から結果を求められている斎藤が、あの時期に「痛い」などと言い出しにくい状況にあったことも想像に難くない。

 斎藤がジャイアンツ球場のマウンドへ上がったのは6回裏だった。やはりボールがとんでもないところへ抜けたり、ワンバウンドしたりとこの日の斎藤のピッチングは荒れに荒れた。

 先頭の八百板卓丸に初球、いきなりスライダーがワンバウンド。3球目のストレートをライトへ弾き返され、これがフェンス直撃のスリーベースヒットになる。続く加藤脩平にチェンジアップを続けるも、結局は甘いストレートをライト前へタイムリーを許して、1失点。イスラエル・モタにレフト線へツーベース、湯浅大にデッドボールを与えて満塁とされ、ワンアウトから戸根千明に犠牲フライ、陽岱鋼にレフトフェンスを直撃されてさらに2点を失う。

 戸根にも陽にも、フォークを叩きつけたワンバウンドのボールがあった。斎藤はこの回を投げ切ることなく、交代を告げられる。まさに悪夢の20球だった。

「誰に投げたとか、まったく覚えていないんです。ワンバンのボールを投げてしまったことは覚えていて......ああ、そういえばダイさん(陽岱鋼)がいましたね。試合前に話したんですけど、対戦していたんですか。そこは記憶にないんですよ。バッターと戦う前に自分と戦っていたからなのかな。ヒジが痛い、ボールがいかない、どうしようと、もうパニックです。

 それでもなぜか、(ヒジが)壊れる怖さはありませんでした。今日、このゲームをどうやって凌ごうかと、そればかりを考えていました。これまでにもヒジが痛い、肩が痛い、腰が痛いと、慢性的な痛みを抱えながら投げたことは何度もありましたし、とにかくアウトを一つ取るにはどうしたらいいんだと、ピッチングの組み立てのことを必死で考えていたような気がします」

 試合を終えて失意の斎藤は、ふたたび病院に行くべきかどうか、迷っていた。

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