2021.04.01

青森の畳職人が都市対抗で一世一代の投球。変わり種サウスポーがプロの扉をこじ開けた

  • 菊地高弘●文 text by Kikuchi Takahiro
  • photo by Sankei Visual

 だが、「1年目から5~6勝はいけるかな」と淡い期待を抱いて飛び込んだプロの世界で、中村は「よくそんな甘いことを思えたな」と振り返るほど鳴かず飛ばずだった。肩やヒジを痛めた時期もあったが、長期離脱するほどの重傷ではない。中村は「目標設定の甘さがすべてだった」と断ずる。

「僕はプロに入るのが目標で、プロに入ってから何勝したいとか、何億稼ぎたいといったものがなかった。そんな目標があれば、そのために何が必要なのかを逆算して練習できたはずです。ほかの人はもっと具体的な目標があって、実績もあるのに。僕は『プロになりたい』という、まるで小学生のような幼稚で漠然な目標しかなかった」

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 プロではいい思い出が残っていない。夜の室内練習場で自分の苛立ちをボールに込め、力任せにネットに叩きつけた記憶ばかりが残っている。2年目の秋から生き残りをかけてサイドスローに挑戦、フェニックスリーグで結果を残した時期もあったが、3年目の一軍キャンプで結果を残せず二軍に落とされた。

 同期入団のダルビッシュ有(現・パドレス)が15勝5敗の好成績でリーグ連覇に貢献する陰で、中村はひっそりと戦力外通告を受け、プロ球界を去った。

 日本ハム退団後は青森に戻った。八戸市で会社員として勤める傍ら、古巣の三菱製紙八戸クラブでプレーした時期もあったが、「もう一度プロに戻りたいという思いはなかった」と長続きしなかった。2015年から実家の中村畳工店に戻り、いずれは8代目として父の後を継ぐ予定だ。

 かつては、「野球を続けたいから実家で働く」という消極的な姿勢だった。だが、プロ野球の世界を経験した今は違う。「畳のよさを伝えたい」という使命感に燃えている。

「人間が生きていくのに水、食べ物、ガス、電気は必要ですけど、畳って必ずしも必要ではないですよね。でも、昔から日本人のDNAに畳のよさは刻まれていると思うんです。畳はゴロゴロと安らげる、一家の団欒の場になっていました。今は生活様式が変わって畳の注文数も減っているんですけど、少しでも畳のよさを知ってもらいたいんです」