2021.04.01

大学の野球部退部→アメフト部→畳職人→NPB。元日本ハム投手が歩んだ奇妙な野球人生

  • 菊地高弘●文 text by Kikuchi Takahiro
  • photo by Sankei Visual

 そして、中村は驚きの転身を決める。アメリカンフットボール部に転部するのだ。

「仲のいい高校時代の同級生が青森大のアメフト部にいて、誘われたんです」

 野球で磨き上げたフィジカルを生かし、基本的に敵陣に突進していくランニングバックを任された。だが、そこは「同好会に毛が生えたレベル」と中村が語るようなアメフト部。人数不足のためオフェンスだけでなくディフェンスも任され、1試合を終えると疲労困憊に陥った。

 大学4年までアメフトを続け、卒業後は「公務員でも目指そうかな」と考えていた。だが、そこで野球への思いが頭にもたげてくる。折しも、野球部の同期生だった細川がドラフト指名を受けた時期だった。

「野球自体は嫌いではなかったですし、もっとやりたい、もっとやれるという悔いがありました。軟式の草野球じゃ物足りない。硬式じゃなきゃ意味がないと思いました」

ダルビッシュが絶賛も突如、野球界から消えた強打者>>

 そこで、中村は実家に近い八戸市に三菱製紙八戸クラブという硬式クラブチームを見つけ、実家の畳店で働きながら所属することに決める。中村はそこで「初めてプロを意識した」という。

「高校までは『行けたらいいな』という夢だったのが、夢から目標に変えたんです。八戸のクラブチームでは、都市対抗に出られるレベルじゃない。なら、都市対抗の二次予選でアピールして、補強選手に選ばれるしかプロに行く道はないと思いました」

 社会人野球には都市対抗野球大会というビッグイベントがある。出場チームのほとんどは潤沢な資金と厚い選手層を誇る企業チームで、各企業が威信をかけて観客を動員して応援合戦を繰り広げる。当然、有望選手も数多く出場するため、プロスカウトも大挙して視察に訪れる。

 都市対抗には予選で敗退したチームから一定数の選手をレンタルできる補強選手という制度がある。中村はこの制度に目をつけ、都市対抗に出場する強豪チームに自分を引っ張ってもらおうと計画したのだ。

 そのためには、当然レベルアップしなければならない。三菱製紙八戸クラブの練習は全員集合できるのは大会直前など、限られた期間しかない。中村は「自分一人でやるしかない」と腹を決めた。