八重樫幸雄「コンニャロー、新人のくせに」。会田照夫の第一印象は最悪だった (2ページ目)

  • 長谷川晶一●取材・文 text by Hasegawa Shoichi
  • photo by Sankei Visual

【鍋の時に仕切りたがる「元祖鍋奉行」だった】

――会田さんはどんな性格の方だったんですか?

八重樫 僕らが入団した頃のキャンプは旅館に泊まっていたから、大広間で何人かで鍋を囲むような食事が多かったんです。ある時、会田さんと同じグループになって鍋を食べたんだけど、あの頃は若手が鍋に具を入れたり、火加減を調節したり、灰汁をとったりしていた。でも、会田さんと食べる時は、全部会田さんが仕切りたがるんですよ。

――いわゆる「鍋奉行」ですね(笑)。

八重樫 そう、あの頃はそんな言い方はしなかったけど、間違いなく今で言う「鍋奉行」だね(笑)。若手が具材を入れようとしたら、「お前、余計なことするな」とか、「よし、もう食べていいぞ」とか指示をする、典型的な鍋奉行だったな。でも、それぐらい面倒見がいいというのか、仕切りたがりというのか、憎めない人でした。よくよく聞いてみると、実家が材木商で、実はボンボンだということがわかったんだよね。

――そうして少しずつ会話をすることで、2人の距離は縮まっていったんですね(笑)。

八重樫 後に何度もバッテリーを組むようになって、ようやく初めてのバッティング練習の時のことを本人に伝えたんですよ。「先輩だからガマンしたけど、同期だったら僕、"行って"ましたよ」と言ったら、「ボールが滑ったんだよ」と。だから続けて「何でケラケラ笑ったんですか?」って聞いてみたんですが、そしたら「おかしかったから」って、また笑っていたな(笑)。

――会田さんの球種は何だったんですか?

八重樫 真っ直ぐ、カーブ、シンカーだったね。あの頃のヤクルトには3人ぐらいアンダースローがいたんです。渡辺(孝博)さんとか、相沢(勝・緒方勝)さんとか。その中では、会田さんがいちばんキレがありましたね。細かいコントロールはなかったけど、ボールに勢いがあった。独特のフォームで右手を大きく高く上げて、間を作るから、右バッターは詰まらされていたよ。

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