八重樫幸雄「コンニャロー、新人のくせに」。会田照夫の第一印象は最悪だった

  • 長谷川晶一●取材・文 text by Hasegawa Shoichi
  • photo by Sankei Visual

「オープン球話」連載第58回

【第一印象は最悪だった会田照夫さん】

――前回まではヤクルト時代のチームメイト、安田猛さんの思い出を伺ってきました。安田さんの死の二日後、今度は会田照夫さんが亡くなられました。会田さんは1971(昭和46)年~1980年(昭和55)までヤクルトに在籍。八重樫さんともバッテリーを組んでいました。

八重樫 僕がプロ入りしたのが1970年なので、会田さんはプロでは1年後輩だけど、年齢でいえば安田さんと同じく47年生まれで4歳年上でしたね。

ヤクルトの「花の昭和22年組」のひとりである会田照夫ヤクルトの「花の昭和22年組」のひとりである会田照夫――若松勉、松岡弘、大矢明彦、安田猛らスター選手が並ぶ、「花の昭和22年組」でしたね。会田さんと最初に会ったのはいつだったんですか?

八重樫 会田さんのプロ1年目だから、1971年の春のキャンプでした。当時は鹿児島の湯之元でキャンプをしていたんだけど、その時でしたね。会田さんは埼玉の上尾高校から、東洋大学、社会人の三協精機を経験してからのプロ入りだったから、年齢の割に経験は豊富だったんですよ。この時のことはすごく印象に残っています。

――どんな印象が?

八重樫 僕のバッティング練習の時に、会田さんがバッピ(バッティングピッチャー)をやったんです。その初球ですよ、いきなり僕の頭の後ろをボールが通過したんですよ。もちろん、わざとじゃないとは思うけど、人の頭の後ろに投げておいてケラケラ笑ってるんです。思わず、「コンニャロー、新人のくせに」って思ったけど、「あっ、先輩だった」と思い出して、かろうじてガマンしたんだけどね。それが初対面の時だったから、第一印象は最悪でした(笑)。

――わざとじゃないとはいえ、ケラケラ笑っている姿を見ると、確かにイラッときますね(笑)。最初の「最悪の印象」は少しずつ解消されていったんですか?

八重樫 いや、しばらくの間は解消されなかったな。会田さんとブルペンに入っても、大学、社会人経験者だからなのか、単に年上だからなのかわからないけど、常に命令口調なんですよ。だから印象はさらに悪くなったよね(笑)。あの頃は、何だかいつも会田さんにイラっときていたような印象があります。

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