2021.03.15

「どういうふうに野球をやめようか」から
高木由一は2度の球宴出場を果たした

  • 菊地高弘●文 text by Kikuchi Takahiro
  • photo by Kyodo News

 一軍出場なしに終わった2年目。シーズン終了後に先輩の選手とともに首脳陣に呼ばれた高木は「1週間後に秋季練習が始まるけど、ふたりは自宅で待機してくれ」と告げられる。先輩は観念した様子で「自宅待機は100パーセント、クビだから」と高木に伝えた。高木は内心、「さんざん断ったのに無理やり入れて、たった2年でクビかよ」と憤りを覚えた。

 それでも1週間後、球団から高木に秋季練習に参加するよう連絡がきた。首の皮一枚、つながったが、その後も薄氷を踏むようなプロ人生が続いた。プロ3年目以降を高木は「どん底」と表現する。

「市役所で知り合った女房とプロ1年目に結婚して、3年目には子どもができました。女房は役所をやめて、僕の給料だけで生活することになって......」

 テスト入団の高木に契約金はなく、20万の支度金が払われただけ。給料は市役所時代とほぼ変わらず、そのほとんどは自己負担のバットなどの用具代に消えた。

 登戸の一間の安アパートに妻子と暮らし、自家用車は妻が通勤で使っていた中古の軽自動車・N360。神宮球場にボロボロのN360で向かった際には、警備員に「一般の人は入れませんよ」と止められた。

 自宅に風呂がないため銭湯に通っていたが、妻が銭湯に行かない時期があった。「風邪を引いてるから」と妻は言ったが、じつは銭湯に行く金にすら不自由していたのだ。

 高木は「プロ野球選手なのに......」と己の待遇を嘆いた。公務員をやめた後悔はなかったが、常に「どういうふうに野球をやめようか?」と考えていた。このままでは生活が成り立たないからだ。

「『こうすればよかった』と悔いを残さないようにやめよう。頑張ったところで、必ず一軍に行けて成績が残せる世界じゃない。それでも、自分は練習するしかない」

 猛練習に励んでいた4年目の夏、打撃練習をしている高木に沖山光利コーチがぽつりと漏らした。

「とつ、タメがねぇな」

「とつ」とは、高木のニックネーム「とっつぁん」を略したもの。ちなみに、沖山コーチは「とっつぁん」の名付け親でもあった。