2021.03.15

高校で野球部をつくり、公務員からプロへ。
漫画を超えた高木由一の仰天人生

  • 菊地高弘●文 text by Kikuchi Takahiro
  • photo by Kyodo News

 高木は内心「自分は真面目じゃないし、性格的に公務員は合わない」と思ったが、仕事をしながら野球ができるのはおいしいと感じた。両親に相談すると、「ぜひ受けてみろ」と喜ばれた。受験の末に、高木は相模原市役所に勤めることになった。

「僕らは団塊の世代ですから、競争率はめちゃくちゃ高かった。野球部に入りたい人のなかにも落ちた人を何人も知っています。どういうわけか、縁があったんですよね」

 同学年の大阪学院大高・江夏豊が4球団から1位指名を受けた末に阪神に入団。スター街道をひた走るなか、神奈川の高校野球の底辺にいた無名選手はひっそりと役所勤めを始めた。

 高木は税務収納課に勤め、税金を滞納する市民から回収する仕事を任された。督促状を何度も送り、最終通告に応じない市民に対しては、差し押さえという強硬手段にも出る。市民から恨まれることもある仕事で、高木は「社会のひずみを見た」という。

「税金を納めたくても納められない人もいれば、稼いでいるのにごまかして逃れようとする人もいる。社会に出て初めて世の中を知ったし、人間としての生き方を知ったような気がします」

 平日17時に仕事が終われば、野球部の練習がある。硬式野球部といっても、部員はわずか14人。メンバーはすべて高校野球経験者だったが、レベルは高くなかった。高木はすぐに主力投手となり、打ってもクリーンアップを任されるようになった。

 当時は社会人野球の全盛期。現在は100チームに満たない企業チームは、1963年には237チームも存在した。神奈川県内には名門企業チームが数多くあり、相模原市役所との戦力差は明らかだった。

「日産(日産自動車)とか日石(日本石油)とも試合をしたけど、彼らにしてみれば、相模原市役所なんて赤子の手をひねるようなものですよ。当時は一生懸命にやって、『なんで勝てないんだろう?』と真剣に悩みもしましたけど、練習量が圧倒的に違うわけだから。そりゃ勝てませんよ」