嶋基宏&鉄平が明かす3.11の葛藤と伝説スピーチの裏側。星野仙一監督に直談判もした

  • 田口元義●文 text by Taguchi Genki
  • photo by Sankei Visual

 主将1年目だった鉄平は、選手と球団との温度差をこう表現した。

「選手側から一番多かった意見は『早く宮城に帰りたい』と。家や家族のこともあるし、なにより『瓦礫のひとつでも撤去したい。被災地で何か手伝いたい』と思っていました。そういう選手たちの意見を嶋と僕が中心となって吸い上げて、球団側に提案する。ただ、答えの出ない議論を続けているような感じでした」

 鉄平は嶋の立ち居振る舞いに「強い意志を感じた」という。当時、嶋はプロ5年目の27歳。球団との話し合いに参加していた主将の鉄平や平石洋介よりも年下だったが、毅然とした態度で「自分たちの意見ははっきり伝えましょう!」と、チームの想いを誰よりも体現していた。

 震災からまもなくして、嶋と鉄平は星野仙一監督のもとへ直談判に向かった。「今の俺たちは野球をやるしかない」と選手たちを鼓舞する指揮官に、「選手の気持ちをわかってもらいたい」とホテルの監督室のドアをノックする。

 部屋に入ると、震災の被害を報じるテレビが流れていた。

「おまえたちの気持ちはわかる!」

 星野監督は声を張り、選手たちの昂ぶる感情を制するように、こう諭したという。

「現実問題として、100人近い大所帯を仙台に運ぶ交通手段はあるか? 10人、20人ならできるかもしれないが、待たされる人間の気持ちを考えたら、それができるのか? 全員が一緒に帰れる日まで、しっかり野球の準備をしようじゃないか」

 その場では理解を示したが、内心は釈然としなかった。嶋が本音を漏らす。

「仙台の球団で、宮城や東北の方々が苦しんでいるのに、『本当に野球をやっていいのかな......』という思いはずっとありました。本当はダメなことなんですけど、練習していても身が入らなかったり」

 鉄平も嶋の気持ちに同調するように、当時のもどかしさを代弁する。

「時間が少し経ってからは『たしかに、すぐに帰るのは厳しかったな』と思いました。ただ、監督と話をした直後は......今だから言えますけど、『監督のおっしゃることはわかるけど、自分たちの主張は間違っていない』という気持ちはありました。『野球の準備はするけど、なんとか帰れるんじゃないの?』っていう葛藤はすごかったですね。だから、ずっとモヤモヤしていました」

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