「バカヤロー、こんな球を投げやがって」
魔球とともに駆け抜けた安田猛の野球人生

  • 谷上史朗●文 text by Tanigami Shiro
  • photo by Sankei Visual

 ある雑誌の特集で安田猛に話を聞いたのは、10年前の梅雨の頃だった。その特集が「魔球」であると知ると、すぐ編集部に安田への取材を提案した。私のなかで安田ほど"魔球"の響きが似合う投手はいなかったからだ。

 なにより、4コマ漫画のコミックが大ヒットし、映画化までされた『がんばれ‼タブチくん‼︎』のなかに安田をモデルにしたヤスダが登場。このヤスダが魔球の使い手だったのだ。

プロ10年間で通算93勝をマークした安田猛氏プロ10年間で通算93勝をマークした安田猛氏 どんな魔球だったかというと......たとえば、豚の顔を書いたボールをタブチに投げて戦意を喪失させようとしたり、山なりの超スローボールを投げると同時にバッターの前まで走り、落下してきたところを帽子とグラブで扇いだり、8本指の特製手袋をはめて投げてみたりと、どれも"魔球"とはならず、最後はいつもヒロオカ監督に冷ややかな反応を受けて終わるというオチだった。

 ただ実際の安田は、魔球と言えるほどの決め球を持っていたわけではない。それでも漫画の影響だけでなく、つかみどころのない雰囲気、打てそうで打てないボールも含め、魔球特集にふさわしい人物だと思った。

 公称173センチのズングリ体型に短い手足を駆使した"ペンギン投法"で通算93勝をマーク。左サイドハンドから左右に曲がる変化球に、ほどよいスピードのストレート、そして球速60〜70キロの超スローボールをじつにテンポよく投げ込んだ。

 安田は1972年にヤクルトアトムズ(現・東京ヤクルトスワローズ)へ入団し、1年目に最優秀防御率と新人王のタイトルを獲得。2年目にもセ・リーグでは金田正一以来となる2年連続の最優秀防御率に輝いた。78年には15勝をマークして、ヤクルトの初優勝に大きく貢献した。

 正確無比のコントロールが持ち味で、1973年には81イニング連続無四球の日本記録をつくった。ただ、ヤクルトの主戦として投げる姿を見ながら、「どうしてあのボールが打てないのか......」と子ども心に思ったものだった。2時間近くに及んだインタビューは、そんな疑問を解明してくれるものだった。

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