2021.02.22

念願のプロ野球デビュー。白仁天は夢かと思い、審判の足を蹴ってみた

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki

 目標に向かって猛進してきた印象のある白さんにして、「悩み」とは意外に感じる。が、そこは慣れない環境と、まだ20歳前という若さもあったのだろう。実際、入団1年目は言葉や食事の違いなどで苦労したこともあり、「あっという間に1年が過ぎて」一軍出場の機会は得られなかった。それが2年目の6月、主力捕手の相次ぐ故障離脱によって、一軍から声がかかる。

「ホーム球場の場合、二軍のキャッチャーは一軍の練習を手伝いに行くんです。だから、その日もミットだけ持って行ったんですね。そしたら、監督の水原茂さんに『おい、白。打ってみなさい』言われた。なんだこれ、夢じゃないかな、思って。

 普段はバット振ったりしてたら怒られるから、バット持って来てないし。それで張本さんに借りて打ったら、水原さんが『おまえ今日、試合出るよ』と。試合に出る? 何言ってるんだろう。なんで? どういうことだ? とボーッとして」

 63年6月26日、神宮球場での対南海戦。0対7と劣勢の7回、白さんはスタメンの丸山公巳(まさみ)に代わって捕手として出場し、ついに念願の日本プロ野球デビューを果たした。

「最初、ピッチャー投げたとき、ミットに入っとるんですけど、入ってないような気がして、ハッと後ろ見たんです。でも、ちゃんとボールはある。そしたら審判がびっくりして、『おい、白。何しとんの?』言うたんで、『いや、なんでもない』言うてから、これ、夢かな、思って、足を後ろにずらして、スパイクで審判の足を蹴ったんです。

 そしたら『あいた! 何しとるの?』『あ、すいません』。ああ、これ、夢じゃないな、って。自分で確かめたわけです。なんでそこまでやったか言うたら、僕は日本のプロ野球、1試合でも出ればやめてもいいと。出るのが夢で、目標だったからですよ」

 1試合でやめるどころか、白さんはその年、20試合に出場。翌年にはレギュラー格となり、65年には14本塁打。外野に転向して2年目の67年には初めて規定打席に達して打率.280。長打力があって、足があって、率も残せる中距離ヒッターとして、入団7年目には東映打線の3番を任されるまでに成長を遂げている。日本でやっていける、と自信をつかんだのはいつ頃だったのか。