59年前、ミスター長嶋に憧れ、プロ野球に電撃入団した韓国人がいた (2ページ目)

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki

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 同書によると、韓国野球の発展には、1956年に始まる〈在日僑胞(きょうほう)学生野球団〉の母国訪問が欠かせなかった。この野球団は、夏の甲子園大会に出場できなかった在日韓国人の高校生を集めて結成され、祖国の高校、単独もしくは選抜チームと試合を行なう。

 58年の野球団には、同年に東映入りする張本勲も参加して活躍。張勲という韓国名を持つ張本は祖国でも有名になり、野球少年たちのあこがれの存在となった。

 訪問試合では〈在日〉チームが圧倒的な強さを発揮し続けた。そのため、韓国の高校球児にとってはこの試合に勝つことが目標となり、野球レベルの向上につながっていく。そういうなか、1950年代末から60年代にかけて、韓国の高校球界に出現した一人のスーパースターがペク・インチョン=白仁天だった──。

 こうした球史に関して、僕はほとんど何も知らずにいたのだが、同書を読んでひとつ考えたことがある。そもそも、白さんはなぜ、日本のプロ野球を目指したのだろうか。

 当時の韓国では実業団の野球もレベルが上がり、人気も高まっていた。背景には実力ある在日韓国人選手の入団があり、祖国でプレーする選手が増えたことが、60年代の韓国野球の急成長へとつながったという。とすれば、チームを強化する過程では当然、国内のスーパースターを獲りたかったはず。高校から実業団へ、という進路も自然な流れでは、と推察できる。

 しかし、白さん自身は、母国の野球が発展していく流れに逆らうようにして、解放後、初めて日本のプロ野球でプレーした韓国出身の韓国人選手となった。一体、原点には何があって、ご本人にはどんな思いがあったのか。

 取材の場所に指定されたのは、宿泊先の東京ドームホテル。白さんは韓国のテレビ局の解説者として、巨人対広島の開幕カードに合わせて来日していた。というのも、同テレビ局は、イ・スンヨプの巨人入団以降、ホームゲームを独占放送してきた。そのイ・スンヨプは95年の三星時代、当時の監督だった白さんに才能を見出され、韓国プロ野球を代表するスターになった。

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