人的補償のリアルに「これがプロ野球か」。田中俊太がDeNAで求められる役割 (2ページ目)

  • 石塚隆●文 text by Ishizuka Takashi
  • photo by Jiji photo

 わずか3年間とはいえ、稀有で濃密な日々だった。はたして、これらの経験がDeNAでどのような形で発揮されるのか楽しみだ。

 田中は神奈川県厚木市出身であり、東海大相模高校、東海大学で過ごすなど、同県の横浜市を本拠地とするDeNAは馴染み深いチームだ。幼い時の思い出を聞くと、こんなエピソードを教えてくれた。

「少年野球の活動で、当時ベイスターズのファームだった"湘南シーレックス"の試合のお手伝いをさせてもらうなど、身近な存在ではありました。ある日、手伝いに行くと雨で試合が中断になり、僕たちはベンチ裏の整備用具置き場でグラウンドを見ていたんです。すると、その時ファームにいた内川聖一さんがシャワーから出てきて、僕たちに声をかけてくれたんです。すごくうれしかったのを覚えています」

 子どもにとってプロ野球選手は憧れの存在であり、いつになっても色褪せることはない。

「以前、日本シリーズで内川さんに会った時にその話をしたら『いつの話をしてんだよ。でも、小さい時の記憶って残るんだよな』って笑っていました」

 紆余曲折を経て、地元球団のユニフォームに袖を通すことになった田中だが、巨人時代、DeNAというチームはどのように映っていたのだろうか。

「ベテランの方も若手も一緒になって野球をしているなといった印象があります。チームとして相性が悪かったというか、DeNAは乗せてしまうと怖いチームだし、やりづらい感覚はありました。横浜スタジアムですか? 学生の時から好きな球場です」

プロ野球もったいない選手たち2021>>

 DeNAには大学日本代表で一緒だった柴田竜拓や、社会人代表でともに戦った神里和毅らがおり、彼らと言葉を交わすことが多いという。また、よく目をかけてくれるのが古巣・巨人で1年間一緒にプレーした中井大介だ。

「中井さんにキャンプの流れやチームのことを教えてもらって、最初の頃は一緒に行動してもらいました。話もよく聞いてくれますし、すごく面倒みてもらっています」

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