福留孝介が語る野球人生の危機。その経験から「根尾はショートに固執すべき」 (2ページ目)

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yuta
  • photo by Sankei Visual

 つまり福留は、誰かに負けたと思いたくなくて、17歳の時からあえて強い言葉を発してきたというのである。自信満々にしか見えなかった福留も、歳を重ねることで己を晒せるようになったのか。そうだとしたら、それは積み重ねてきたものに対する圧倒的な自信があるからだろう。福留はこう続けた。

「だから今も、思うようにいかないことがあっても、何かができなくなったとは思わないようにしています。そりゃ、昔みたいなスピードがどうのこうのって言われたら、それはできていないかもしれないけど、だったらそれをどうやって補えばいいのかを考えればいい。たとえばその前の動作をちょっと工夫するとか、できなくなったとマイナスに考えるんじゃなくて、こうしたほうがいいのかな、こうすればもっとよくなると、常にプラスの方向へ考えられるようになりましたね」

 昨年までの22年間で日米通算、2407本のヒットを積み重ねてきた福留は今シーズン、14年ぶりにドラゴンズへ復帰した。

 思えば福留が在籍していた頃のドラゴンズは常に優勝を争うチームだった。1999年からの9シーズンでリーグ優勝3度、2位が4度(うち1度はCSを勝ち上がって日本シリーズへ出場)、3位が1度。ドラゴンズはAクラスが当たり前のチームだったのだ。しかし最近はずっとBクラスが続いていた。昨年、8年ぶりのAクラス(3位)に食い込んだ古巣を、福留はこんなふうに見ていたのだという。

「大島(洋平)であったり(高橋)周平であったり、ようやく軸になる選手が出てきたという感じですね。チームって、軸が決まると周りが落ち着いてくるんです。あとは、選手一人ひとりがゲームのなかで求められる自分の役割を、周りに言われて理解するんじゃなくて、自分で考えて理解できるようになったら、もっと楽に戦えるようになるんじゃないかなと思います」

 就任2年目の与田剛監督のもと、投手陣には軸ができた。沢村賞に輝いたエースの大野雄大、ともにホールドポイント30で最優秀中継ぎ投手賞を獲得した祖父江大輔と福敬登。さらにリーグトップの.455という抜群の盗塁阻止率を誇った木下拓哉が正捕手のポジションをつかんだことも心強かった。

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