田中将大はどうなる? メジャーから日本球界に復帰した男たちの明暗 (2ページ目)

  • text by Sportiva
  • photo by Sankei Visual

 昨年、48歳でのトライアウト挑戦が話題となった新庄剛志は、メジャーで3年間プレーしたのち、北海道移転が初年度の日本ハムに2年契約で移籍した。入団会見では「チームを日本一にする」「(新本拠地である)札幌ドームを満員にする」という目標を掲げた。

 復帰1年目の2004年、開幕2戦目で北海道移転後の球団第1号本塁打を放ち、キャリアハイの打率.298をマーク。同年のオールスター第2戦では史上初の単独での本盗を成功させるなど、「記録よりも記憶に残る選手」として活躍。2年契約満了を迎える2005年オフには、本人の強い希望もあり、単年の再契約で合意。札幌ドームでの初の開幕戦となった3月25日の楽天戦は42393人がスタジアムに駆けつけ、同シーズンでチームは日本一に。日本ハム移籍3年目で、入団時の公約を2つとも達成した。

 2018年からロッテを率いる井口資仁は、メジャー経験者として初めて、NPBの一軍監督を務めている。

 ダイエー(現・ソフトバンク)では内野のレギュラーとして活躍したあと、2005年からメジャーに挑戦。1年目からホワイトソックスのリーグ優勝、ワールドシリーズ制覇に貢献し、日本人では伊良部秀輝に続いて2人目のチャンピオンリング獲得者になった。

 その後、フィリーズ、パドレスでもプレーし、2009年にロッテからオファーを受け、5年ぶりに日本球界に復帰した。井口本人がこだわった二塁手での起用、初芝清の引退後に準永久欠番となっていた背番号6を用意するなど、"三顧の礼"でチームに迎え入れたことも話題になった。

 復帰2年目の2010年は143試合に出場し、打率.294を記録。シーズン優勝は逃したが、「3番・二塁手」に定着し、シーズン3位から日本一に輝いたチームをベテランとしてけん引した。パ・リーグ最年長選手として戦った2017年シーズンを最後に現役を引退。その翌年に監督に就任し、今年で4シーズン目を迎える。メジャー挑戦前に所属した球団に負けないくらい、日本球界復帰後の球団のイメージが強くなった珍しいケースと言える。

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