パ・リーグDH誕生秘話。それは世界一の代打男の執念と技術から始まった (3ページ目)

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki
  • photo by Sankei Visual

 西本監督が退任し、新たに上田利治監督が就任した74年。高井は6月28日の太平洋(現・西武)戦で通算14本目の代打本塁打を放ち、日本新記録を樹立。それから間もなく、高井のオールスター初出場が決まった。パ・リーグ監督を務める野村克也(南海)が「苦労人に報いてやりたい」と、長い下積み生活に耐えてきた"代打男"に光を当てたのだ。

 迎えた7月21日の第1戦、場所は後楽園球場。2対1とセ・リーグのリードで迎えた9回裏、一死一塁。一発が出ればサヨナラの場面で、パ・リーグ野村監督が代打に高井を送った。マウンド上にはヤクルトの松岡弘が立っていた。

「松岡のクセを覚えとった。いつかは役に立つやろう思って、セ・リーグのピッチャーもオープン戦でメモしてたんや。そのなかでも松岡のクセはわかりやすくて、テークバックの時、ほんのちょっと左ヒジが上がったらカーブ。逆にフッと左肩が下がってきたら速い球がくるわけ。

 それで1球目、高めのボール球の真っすぐ、左肩が下がってた。で、2球目、また左肩が下がって真っすぐがきたわけ。かなり低いけどいったれと。カーンと打ったら左中間に飛んでいってもうて。もともとワシは低めが好きやから」

 内角低めの速球をとらえた打球は、低い弾道で左中間スタンドの最前列に突き刺さった。オールスター史上初の代打逆転サヨナラ本塁打。ホームでは満面の笑みで野村監督が待ち構えていた。

「こんな感激はもう一生、味わえんと思ったね。なにより、ワシを選んでくれたノムさんにええ恩返しができてよかった」

 一週間後、高井の"劇弾"に触発されたアメリカ人の新聞記者であるネイト・O・マイヤーズによるコラム記事が一般紙に掲載された。

 <高井選手と"指名代打制" パ経営者に一考>

  そう題された記事は、高井のような強打者が代打要員ではもったいないと訴え、MLBのア・リーグが73年からDH制を採用したこと、採用後はリーグ全体の観客動員が約200万人増加したことを紹介。そのうえで、パ・リーグ各球団がDH制を研究課題とし始めた現状に触れていた。

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