廣岡達朗がセ・パ格差議論に苦言「見誤ると本質が見えてこなくなる」 (3ページ目)

  • 長谷川晶一●取材・文 text by Hasegawa Shoichi
  • photo by Kyodo News

 これは「DH制のないセ・リーグだからこその苦労だった」と廣岡氏は振り返る。しかし、1978年こそマニエルの活躍もあって、見事に日本一に輝いたヤクルトだったが、翌79年にマニエルを近鉄にトレード。ヤクルトは開幕から投打の歯車がまったくかみ合わずに、シーズン途中で、廣岡氏は退団の憂き目に遭っている。

「マニエルのような選手はセ・リーグでは活躍できないでしょう。でも、打撃に専念することのできるパ・リーグならば活躍の幅も広がるかもしれない。そういう意味では、両リーグ間の外国人選手獲得について、選手起用についての違いはあるとは言えるでしょうね。ただ、違いがあると認めたうえで、私は『DH制があろうと、なかろうとどちらでもよい』という考えは変わりません。DH制があろうとなかろうと、監督というのは与えられたルールの中で戦うしかないんですから。原のように、『DH制を導入すべきだ』というのはいち監督が発言する問題じゃない。その点を彼ははき違えていると思いますよ」

 それは、両リーグで日本一に輝いたプライドと自負が垣間見える発言だった。

【長年のパ・リーグの苦労と努力の果ての現在の繁栄】

 さらに、廣岡氏は「両リーグ間格差」にことさら注目するマスコミに対しても苦言を忘れない。

「私が西武の監督だった頃、パ・リーグには伊東一雄という名物広報部長がいて、『パンチョ』というニックネームでテレビや雑誌に積極的に登場していました。彼は自ら広告塔となって、必死にパ・リーグの魅力を訴えようとしていました。セ・リーグ出身だった私は、パンチョの頑張りに驚きました。『あぁ、ここまでしないと世間から注目してもらえないんだな』と気づかされました。こうした先人たちの努力の果てに、今のパ・リーグの繁栄はあるんです。こうした努力をないがしろにして、『セ・リーグもパ・リーグの真似をすべきだ』と安易に報道するのはどうかと思う」

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