名球会メンバーが涙した大杉勝男との別れ。八重樫幸雄はサヨナラ打を捧げた (3ページ目)

  • 長谷川晶一●取材・文 text by Hasegawa Shoichi
  • photo by Kyodo News

【大杉さんの死の直後に放ったサヨナラ打】

――大杉さんが亡くなった4日後の5月4日、神宮球場の大洋戦で代打起用された八重樫さんはサヨナラヒットを打っていますね。当時、「いい日に打てた、見ていてくれたかな」と八重樫さんが言ったという記事を読みました。

八重樫 その思いは今でも変わらないですよ。打席では大杉さんのことが頭をよぎったし、大杉さんが打たせてくれたヒットだったと思います。

――ちなみに、大杉さんが亡くなった4月30日から、ヤクルトは7連勝しています。さらにこの年は14年ぶりのリーグ制覇も果たしています。

八重樫 大杉さんが勝たせてくれたような気がしますね。当時のメンバーの中で大杉さんと深くかかわっていた選手は僕と杉浦(享)ぐらいしかいなかった。角(富士夫)はまだ若手でしたからね。大杉さんと一緒にプレーしたことはなくても、広沢(克己・広澤克実)にしても、池山(隆寛)にしても、周りの人たちが「大杉さんのために」と言っているのを聞いて、奮起した部分もあったと思いますよ。

――あらためて、その交流を振り返って、大杉さんとはどんな方でしたか?

八重樫 繊細で優しくて、神経の細かい方でした。たまたま自宅も近かったので、家族ぐるみのおつき合いもしていたから、なおさらその死は寂しかった。この連載でも言ったけど、大杉さんが日本ハムから移籍してきた時に、ヤクルトの選手として最初に会ったのが僕だったんじゃないのかな?

――それが1974(昭和49)年オフのことで、大杉さんが現役を引退したのは1983(昭和58)年のことでした。現役選手としては9年間をチームメイトとして過ごし、その後の9年間はご近所に住む先輩後輩として過ごしたんですね。

八重樫 僕にとっては偉大な大先輩ではあるけれど、いい兄貴分という存在でしたね。1975年の最初のキャンプでいきなり打撃指導をしてくれたこと、神宮球場からの帰り道、大杉さんの運転する車内でその日の試合の反省点やポイントを丁寧に説明してくれたこと、ご自宅にお邪魔して、奥さんの手料理をごちそうになったり、大杉さんの子どもたちと遊んだこと......大杉さんとの思い出はいくらでもあるよ。

――それにしても、早い死でしたね。本当に残念です。

八重樫 惜しい人を亡くしたと思います。本当にお世話になりました。大杉さんには、今でも「感謝」という思いしかないですね。

(52回につづく)

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