「西武も桑田真澄を狙っていた」根本陸夫の右腕が語るKKドラフトの真実 (2ページ目)

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki
  • photo by Sankei Visual

無料会員限定記事

 1985年のドラフト会議当日。直前まで「1位指名は清原」と見られていた巨人が、早稲田大進学を希望する桑田を1位で指名した。会場は驚きの声でどよめいたが、その裏には西武からのプレッシャーもあった。というのも、浦田が「ふたりともほしかった」と言うとおり、「巨人も両獲りを狙っている」と根本が確信。「ウチは清原か桑田のどちらかを獲る」と公言したのだ。

 プロ志望届はまだなかった時代。大学進学を明言している選手でも、ドラフト指名は可能だった。強行指名で入団拒否となるのを避け、ドラフト外で獲ることもできた。現に、大学進学予定の秋山が西武に入団した経緯がそうだった。すなわち、「桑田の早大進学は100%決まりではない」という前提で、西武サイドは巨人の戦略を見定めたのだ。

 浦田の推理によれば、巨人は当初、ドラフトで清原を1位指名し、2位指名またはドラフト外で桑田を獲ることを考えていた。あわよくば両獲りができて、たとえ清原を外しても、桑田を獲得できる。ところが、根本が「清原か桑田」と言ったことで、1位指名せざるを得なくなった──。

「僕もバンバン言ったんですよ。『清原を外したら、嘘も隠しごともなく桑田をいきます』って、新聞記者にもどんどん言って。それで巨人は怖くなっちゃって、清原をやめて、桑田に行ったわけですよ、もうね、調べたら決まっていることがわかりましたから。巨人のスカウトである"伊藤の菊"の息子が、1年生でPLの野球部に入っていたんです。『ああ、やられたな』と思いました」

 巨人の辣腕スカウト・伊藤菊雄。関西在住で息子の敬司をPL野球部に入れ、選手の親の立場で学校に出入りできる特権を得ていた。後年、桑田は2017年に発売された『Number』(937号)のインタビューでこう答えている。

「菊さんは、僕の本心を含めてすべてを見抜いていたような気がする」

<本心>とは「早稲田が第一希望だが、巨人だったらプロへ行く」というもので、伊藤はその意志を確信していたようだ。

全文記事を読むには

こちらの記事は、無料会員限定記事です。記事全文を読むには、無料会員登録よりメンズマガジン会員にご登録ください。登録は無料です。

無料会員についての詳細はこちら

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る