「西武も桑田真澄を狙っていた」根本陸夫の右腕が語るKKドラフトの真実

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki
  • photo by Sankei Visual

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根本陸夫外伝〜証言で綴る「球界の革命児」の知られざる真実
連載第23回
証言者・浦田直治(5)

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 秋山幸二、伊東勤、工藤公康──。常勝西武に欠かせなかったこの3選手の獲得は、いずれも一人の男のスカウティングによって成し遂げられた。その男とは、「球界の寝業師」と呼ばれた根本陸夫ではない。「根本の右腕」と呼ばれた敏腕スカウト・浦田直治である。

 当然ながら、編成責任者の根本がいないと新人選手の獲得はできない。最終的なゴーサインを出すのも、契約を完了させるのも根本の役割だ。しかし浦田によれば、西武の新人補強において、根本自身が交渉したのは松沼兄弟の時だけだったという。それ以外、ドラフト外も含めて交渉が難航した選手はすべて、浦田が率先して動いて口説き落としていた。

1985年のドラフトで西武から1位指名を受けて入団した清原和博1985年のドラフトで西武から1位指名を受けて入団した清原和博 西武の前身=西鉄でスカウトになった当初、浦田は1位指名選手の獲得に失敗したことがあった。原因は調査不足で、以後、獲りたい選手のことは本人とその周囲まで徹底的に調べ上げるようになる。結果、西鉄が太平洋、クラウン、西武と変遷していくなかで、浦田自身が担当した選手を獲り逃したことはなかった。

 そのスカウティングは、いち早く選手本人側に接触し、本人の本当の気持ちを確かめることに重きをおいていた。常に「早く動かないとよそに持っていかれる」という危機感が浦田をつき動かしていた。1985年の、いわゆる<KKドラフト>の時もそうだった。

 この年、西武はPL学園高の清原和博を1位指名して獲得する。6球団が競合した末、強運の根本が"当たりクジ"を引いた。プロ1年目から主力となった清原もまた、常勝西武に欠かせない選手となった。だが、浦田がいち早く動いたのはもうひとりの<K>、同じPLの桑田真澄のほうだったという。そこにはどんな事情と背景があったのか。浦田に聞いた。

「僕はね、桑田もほしかったんです。西武も巨人と一緒で、桑田と清原、ふたりともほしかったんですよ。だから春の大会が終わって5月の終わりか6月の初め頃、桑田の家に電話したんです。そしたら『この電話番号は現在使われておりません』って。電話局に頼んでつながらないようにしちゃってる。それで『あらっ、どっかもう動いてるな』と思って調べ始めたんです」

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