内川聖一が明かす現役続行を決断した要因。自身のキャリアを振り返る (3ページ目)

  • 原山裕平●取材・文 text by Harayama Yuhei
  • photo by スポーツ報知

 ホークスでの10年間は、栄光の日々だった。2020年こそ直接的に優勝に貢献できなかったとはいえ、10年間で7度の日本一を達成。自身も首位打者、MVP、ベストナインなど多くの個人タイトルを獲得している。

 10年間で印象的な出来事はふたつある。ひとつは、移籍1年目の2011年。首位打者とMVPを獲得し、日本一に貢献したことだ。そしてもうひとつは、2013年のこと。秋山幸二監督の気概に、内川は救われたという。

「WBCで失敗して(※準決勝のプエルトリコ戦で自身の走塁ミスが響き日本は敗戦)チームに帰って来たんですが、当然、僕自身は大きなミスを犯した立場だったので、ショックを引きずっていましたし、野球から逃げ出したい気持ちも正直ありました。

 でも、秋山さんは『もう過去のことなんだから、そんなもの引きずってもしょうがない。今からがんばれ』って、帰ってきた次の日から、すぐに試合に出させてもらったんです。あの時、秋山さんが使ってくれたから、ミスを断ち切ることができた。もし、あの時に時間が空いていたら、そのまま沈んでいっていたかもしれないし、今の自分はないかもしれないですね」

 秋山監督から工藤公康監督に代わると、ホークスはさらに常勝軍団への道をたどることとなる。そのなかで内川自身は、2015年にキャプテンに任命され、文字どおりチームの牽引者となった。もっとも内川自身は「キャプテンとしてチームを引っ張ったという感覚よりも、周りの選手ががんばっているものに乗せてもらったという印象が強い。キャプテンとしての仕事はしていない」と振り返る。

 ただ、キャプテンとしての責任感が、内川の打棒を次第に狂わせることになる。

「すべてで自分が一番じゃないといけないというか、キャプテンとして結果を示さないといけないという想いが強すぎましたね。あの時は4番も任されたんですが、3番にはトリプルスリーを達成した柳田(悠岐)がいて、5番にイ・デホ、6番に松田(宣浩)と、楽勝で30本超えるホームランを打つ選手が揃っていた。そのなかで4番の僕が十何本というのが恥ずかしくて。

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