NPBで才能開花→MLBで大ブレイク。日本で前評判を覆した助っ人たち (3ページ目)

  • 浜田哲男●取材・文 text by Hamada Tetsuo
  • phoho by Sankei Visual

 メジャー昇格が一度もないまま来日し、ヤクルトのクローザーとして活躍後にメジャー初登板を果たしたのがトニー・バーネット。2006年、ドラフト10巡目でアリゾナ・ダイヤモンドバックスに入団。2008年に2Aで11勝(7敗)、2009年は3Aで14勝(8敗)をマークするなど順調にステップを踏んでいたが、メジャー昇格は叶わず、2010年にヤクルトと1年契約を交わした。

 来日1年目は先発として4勝(5敗)。シーズンを通じて一軍と二軍を行き来し、一度は自由契約選手として公示された。しかし、チーム事情もあり2011年1月に再契約を果たすと、同年はリリーバーとして安定した投球を披露。勝ちパターンの一翼を担い、22ホールドをマークした。2012年以降はクローザーとして活躍し、2度のセーブ王を獲得。2015年は開幕から23試合連続無失点を記録するなど41セーブを挙げ、14年ぶりのリーグ優勝に貢献した。

 その2015年オフに、レンジャーズと2年契約を締結。2016年は念願のメジャー初登板を果たし、勝ちパターンのリリーバーとして活躍。53登板で防御率2.09、7勝(3敗)、15ホールドという成績を収め、チームの地区優勝に貢献した。メジャーにたどり着くまでに日本で6年間を過ごした珍しい例だ。

 日本でブレイクしたわけではないが、NPBでキャリアをスタートさせ、のちにメジャーのレジェンド選手になったアルフォンソ・ソリアーノは多くの野球ファンが知るところだろう。広島が所有するドミニカ共和国の野球スクール「カープアカデミー」出身で、1996年に来日すると、ウエスタンリーグで57試合に出場。翌年に一軍初昇格を果たしたが、わずか9試合の出場にとどまった。

 1998年9月、ソリアーノはニューヨーク・ヤンキースと契約を結ぶ。翌年には2Aで89試合に出場し、打率.305、15本塁打、24盗塁をマークするなどアピールに成功。同年9月にメジャーデビューを果たすと、初安打を初本塁打で飾った。

 2001年には158試合に出場し、打率.268、18本塁打、73打点、43盗塁とブレイク。2002には打率.300、39本塁打、102打点とさらに成績を伸ばし、41盗塁で盗塁王を獲得してトリプルスリーも達成した。メジャー通算16年で2095安打、412本塁打、1159打点、289盗塁という偉大な記録を残し、メジャー史に残る名選手となった。

 ソリアーノは特異なケースだが、日本でアピールに成功し、メジャーで活躍するケースは今後も増えていくはず。今年の新加入選手を含め、各球団の"助っ人"たちの奮闘に注目だ。

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